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【映画】 『インランド・エンパイア』

2007.09.11 Tuesday

人間って、何にでも慣れてしまうものだとは言いますけれど、本当にそうですね。私ももうすっかり慣れつつあります。何に? って、耳鳴りに。耳の病気になってから早3ヶ月。聴力は正常値になったものの、微妙な耳鳴りが持続中。

朝、睡眠の淵からウツツの世界に這い上がってくると、まず聞こえてくるのが、左耳の奥で鳴るブゥンブゥンという機械的な通奏低音。やがてそれに重なるのは、左胸の奥で刻まれる心臓のドクンドクンという一定のリズム。そして、カーテンの向こうから聞こえてくる、雀のさえずり、烏の鳴き声、登校する子どもたちの澄んだ笑い声。ちょっとした朝のコンチェルトか、モーニングトランスか、といった趣きだったりして。



そんな耳鳴りアンプ状態の私に、うってつけの映画を見てきました。デイヴィッド・リンチの新作『インランド・エンパイア』。一言で言ってしまうと、3時間ずっと耳鳴り(しかもかなり重症気味の)が鳴りっぱなしのような作品。もちろん、良い意味なのか悪い意味でなのかは、見る人の嗜好によります。って、そんなこと言わなくてもわかってるって。


で、「インランド・エンパイア」=「内なる帝国」で鳴り響く耳鳴りとは、一体? って勝手にキャッチコピー考えちゃいましたが。

この作品では、いくつかの世界が入り乱れ交叉していきます。入り乱れる世界は、以下のとおり。

●ハリウッドの映画『On high in blue tomorrows』の世界
●ハリウッドの映画『On high in blue tomorrows』に出演する、女優ニッキー(ローラ・ダーン)の世界
●ポーランドの映画『47』(『On high in blue tomorrows』の元ネタ映画)の世界。
●ポーランドの映画『47』に出演する、女優の世界
●ウサギ人間が登場するsit com風TVドラマの世界

これらの世界が、扉や部屋や電話や通りなど、さまざまな場所を媒介にして交叉し、つながっていきます。やがて、映画と現実、場所と場所、人物と人物が、重なり、溶解し、入れ替わり、夢と現実の境目が曖昧になり……。

というわけですが、こういう手法って、前衛芸術としては古典的ではありますよね。こうした混乱した世界の謎解きに狂喜するタイプの方(たいてい男性)は、この劇場用パンフレットに付録としてついている、川勝正幸氏による入魂の相関図マップ片手に、メモりつつ、記憶力を発揮しつつ、見ると楽しいのではないでしょうか(私はやりませんけど……)。


登場人物はみな、何かしらトラブルを抱えています。疑惑、不倫、妊娠、殺人など、すべては愛をめぐるトラブル。そしてそれが引き金となって、時間や空間を超えた悪夢がくり広げられていきます。そして最後にやっと訪れる、光と、救い。

一応、ハッピーエンドのはず。ですが、物語を終わらせるために、とってつけたような感じはあったりして。基本的に、「インランド・エンパイア」=「内なる帝国」っていうタイトルがつけられているくらいですから、人間の心の闇っていうんでしょうか、精神が生み出す暗い妄想、黒い欲望、みたいなものを、リンチと共に体験してみませんか? というわりと単純なノリの作品なのではないかと思いました。それにノレるかノレないかは、受け手側の嗜好によるわけで、理解できるか理解できないかなんてどうでもよし。これはどういう意味だ? なんて頭ひねってたら、それこそリンチの思うツボ。私はひねくれ者なので、「どうだい? わかんないだろ?」といったものを見せられると、その裏をかいてやる! なんて思ってしまって、「どうせ最初から、わからせる気なんてないんでしょ? だったら考えませーん」という態度に出ちゃうんですよね。ホント、可愛げのない女だな。

でも。あれだけ成功していてるにも関わらず、いつだって挑戦的、いや、成功してますます挑戦的になっていくデイヴィッド・リンチは、やっぱり凄い。やっぱりカリスマ。何だかんだ言って、やっぱり好き。惚れた弱みで、駄作でも何でも嫌いとは言えないの。むしろ惚れた男が馬鹿やってくれればやってくれるほど嬉しかったりするの(って、別に『インランド・エンパイア』が駄作で馬鹿映画だとは言ってませんが笑)。




今回のこの『インランド・エンパイア』は、DVカムコーダー(SONY PD-150)を使って撮影されたそう(DVカムコーダーとは、miniDVカセットというテープを使った家庭用モデルの業務用後継機です)。そんなわけで、大きなスクリーンで見ると、画像が非常に粗くて、とてもキレイとは言いがたい映像でした。わざと観客の神経を逆なでするような、ガサガサ&ザラザラとした質感。


そんな映像を見ながら、私は、昔、アート系映像スクールに行っていたときのことを思い出してしまいました。私もそんな所に行ってたこともあったんだった、そういえば(あまり楽しくない過去のことは消去するタイプです)。でも、即行で行くのやめちゃいましたけど。根性ないから。っていうのももちろんありますけど、それよりもそのスクールの、「アートとは、心のうちの醜いものを表出すべきものなのだ! おのれの醜い部分を表現せよ!!」みたいな素朴すぎるアート観に、恐れをなしたからなんですけど。

で、そのスクールの生徒作品上映会を見に行ったときのことを、粗い映像を見ながら思い出していたのでした。いや、悪い意味ではないですよ。そのとき見た映像のなかに、忘れられない作品はたくさんありましたから。たとえば。……田舎の自然や街並みなどのノスタルジックな風景シーンが意味深げに続いた後、あるひとつのガードレールの上にカメラが止まり、そこに小さく何か書かれていることがわかります。カメラは少しずつ少しずつ、クローズアップしながらその文字に近づいていきます。静寂とともにカメラが映し出した、ガードレールにマジックで書かれた丸文字な一文。それは、「汚れちまった青春に」。……中也もビックリのオチが待っているこの作品を見たときの衝撃は、たぶん一生忘れません。。


えーと、話が脱線しました。そんなわけで、手持ちカメラで撮影しただけあって、画面が微妙にブレたり、揺れたり。耳鳴りと同時に、眩暈もついてくるかもしれません。私も今回耳の病気をしたとき、一度、眩暈がひどくなりましたけど、そんな三半規管系の病気な気分も味わえます(って、特に味わいたくないですね)。

神経を逆なでするような、悪夢。そんな体験って何かに似てるなぁと思ったら、お化け屋敷のノリに似ているのかも。今から14年前、1993年の後楽園ゆうえんちのルナパークに現れた、伝説の「楳図かずおのパノラマ怪奇館」みたいな。これ、今まで入ったお化け屋敷の中でダントツ最高でした! ここでデートしたな〜とか(笑)。ありえない超ミニスカはいてさ。懐かしいわ。(ちなみに、現在、楳図のお化け屋敷は、大分県にある城島後楽園ゆうえんちにあるそうです。詳細はこちら)。



……なんて、神聖なるリンチ新作を見ながら、どーでもいーことばっかり考えていた私……(気ィ散りまくり笑)。正統派リンチ・ファンから殴られますね、確実に。異端派リンチ・ファンということでお許しいただければ幸いです。





そうそう。『インランド・エンパイア』に見る乙女な部分についても、ちゃんと書いておかなくては。

世界と世界のつなぎ目に現れる、ある意味で、辺境のマージナルな存在として登場するのが、売春婦たち。彼女たちが、とってもポップでファニーでグラマラス! ローラ・ダーンが、有名な女優という役柄にも関わらず、全くもって美しくなかったというかかなり醜かったので(リンチって、美人を出演させるのはあまり好まないのか、美人を醜く撮るのに喜びを覚えるのか、いつもそうよね)、特に、売春婦たちのシーンだけとってもキラキラして見えました。女にとっても男にとっても目に楽しいシーンがたくさん。

売春婦たちが、ピチピチしたTシャツにホットパンツ、といったファニー&セクシーな格好をして、部屋でゴロゴロくつろぎつつ、「元気出して。あんな男なんか忘れちゃいなさいよ。アンタ魅力的よ。特にそのオッパイがステキ!」なんて言い合うシーンが、特に楽しい。Tシャツをたくしあげて、明らかに豊胸済みのバストを皆に自慢したりして! 可愛かった!!

それと、肝心なことを書くのを忘れていました。日本人だったら、口には出さねど頭の隅っこで蚊が鳴るようなカンジで気になってるに違いない「あの裕木奈江がリンチ映画に出演したんだって?!(何で?!)」の件ですけど(笑)、イイ感じで脱力感を漂わせていました。って、あの脱力感が、日本人以外にも伝わったのかどうかはわかりませんが。かなり切迫した息をのむ緊張シーンで、突如ユルい空気を伴って現れたナエ・ユウキ。ポケベルが鳴らないのか今にも泣き出さんばかりの顔をして、私より下手すぎる英語(アメリカでは英語の字幕付き)でセリフと格闘していたナエ・ユウキ。暗くて痛くて辛いシーンの連続で「正直もう見てるのツライ」と弱音を吐きそうになった絶妙なタイミングで現れ、場内のみんなを脱力させてくれたナエ・ユウキ、ありがとう……! 今までごめんね!(嫌ってて)


 

【映画】 『乾杯!ごきげん野郎』

2007.01.18 Thursday

新年早々、坂道で転んでしまいました。雨に濡れた下り坂にて。白線の上って濡れているとすべるんですね。しかもはいていたパンプスのヒールがすり減っていて。後ろに倒れそうになって、咄嗟にバランスを取ろうとしたら逆に前のめりになり、思いっきり前方1メートルほどまでザザーッとスベリました。買ってまもないパンツの膝に穴があき、膝には何やら白いものが露出。すぐ瘡蓋(かさぶた)になるかと思いきや、いつまでも白いものがウジウジしてるので「あら〜?」と思って病院に行ったら、表面の皮膚が完全に飛んでしまっているので、皮膚が再生するのに1ヶ月くらいかかるとのこと。病院の先生いわく「切り傷だと皆さんすぐに病院に来るけど、かすり傷ってあまり来ないんですよね。でもこれは病院に来ていただたかないと駄目ですよ」と。(左の画像は関係ありません)

一張羅ぎみだったパンツ(ズボンね)を駄目にし、痛む膝をひきずり、新年早々ションボリだった私。ションボリを克服するための特効薬は、私の場合、本を読むか映画を見るかに限る! だなんて、なんとまぁお手軽でお安い特効薬でしょうか(笑)。でも、この特効薬のウィークポイントは、「つまらない映画もしくは本だった場合、さらに良いものを摂取しないとさらに収まらなくなるため、時間がかかる可能性もある」ということです。もっと良いものをもっと面白いものをもっと刺激的なものを……とまぁ欲望はとめどなく……。でもそうやって欲望のままに映画や本をむさぼってるうちに、ションボリなど吹き飛んでしまうのですけども。(右の画像は関係ありません)



というわけで、先日、京橋のフィルムセンターの「歌謡・ミュージカル映画名作選」特集に行き、『乾杯!ごきげん野郎』を見てまいりました。


『乾杯!ごきげん野郎』
(1961年 ニュー東映東京)
監督:瀬川昌治
脚本:井手雅人
音楽:松井八郎
出演:梅宮辰夫、南廣、今井俊二、世志凡太、東野英治郎、高橋とよ
三田佳子、山中みゆき、八代万智子、榎本健一


内容は、九州の養鶏場で働く4人の青年が、コーラスグループで一旗上げようと東京にやって来るドリーム・カム・トゥルー物語。

その九州コーラスグループのメンバーは、まだ漬物を漬けていなかった頃の梅宮辰夫(上の写真の右から2番目)や、後に浅香光代とご結婚される世志凡太(せしぼんた)(上の写真の一番左)などが扮しています。

そして東京に出てきた彼らは、ジャズコンテストに出場することに。このコンテストのゲストとして登場するのが、人気美人シンガーの明石まゆみ。彼女に扮したのが、現在と全く顔が変わっていないという驚異の女優、三田佳子(当時20歳)。ホントに今と変わらない顔でビックリというか、今の彼女が過去の彼女と同じでビックリというべきなのか。エリザベート・バートリか楳図かずおの『洗礼』か、40数年の時を越えて保存され続ける美貌とは?! ……という映画ではありません(笑)。えーと、三田佳子の着ていた、帽子のフチとワンピースの衿に豹柄フェイクファーのついたセットが物凄くオシャレでした。それから、豹柄のワンピースを着せられた女装のミサイル川田こと、大泉滉の怪演が笑えました。

そんなわけで、九州男児たちは何とかして自分たちの歌を売り込もうと、あれやこれやと策を弄します。そのうち彼らは、ある芸能プロダクションの会長の米寿を祝うパーティに忍び込むことに。そしてまんまと、補聴器をつけたヨボヨボの会長を拉致するのですが……。


この補聴器をつけた芸能プロダクションの会長を演じたのが、往年の喜劇王エノケンこと、榎本健一(えのもとけんいち)。エノケンって、ものの本を読むと必ず出てくる名前ですよね。もちろん私はリアルタイムで彼の芸を見たことがあるわけがなく、十代の頃に親と一緒に『虎の尾を踏む男達』(黒沢明監督)を見たことがあるくらいで、今ひとつピンと来ていませんでした。ところが。この『乾杯!ごきげん野郎』に出てきた彼、ほんのちょっとの登場なんですけど、凄い。ここだけ早回ししてる?っていうくらい、スピード感のあるパフォーマンス。4人の青年たちが次々にエノケンの口に食べ物を突っ込み、それをパクパクと物凄い勢いで食べながらも同時に葉巻を吸う、その時の困ったようでもあり満足気でもあるかのような可笑しな表情と言ったら! (このシーンの撮影時のエピソードは、瀬川昌治氏の最新著書『乾杯!ごきげん映画人生』(清流出版)に詳しいです) やはり、芸ってこういうものなのだなぁと思いました。昨今の、笑うポイントがよくわからない学芸会コントを披露するだけで「お笑い芸人」と堂々と称している方々に、この映画を見せたい気がしました。ま、「“お笑い芸人"という表看板の単なるタレント」っていうジャンルもあるとは思いますけどね。

最後にはちょっぴりホロリとするシーンもあって、セオリーどおりの「笑いあり涙あり」の良質なコメディ映画でした。おまけに、デューク・エイセスが吹き替えをしたというテーマ曲(松井八郎作曲)も、とてもハッピー。「幸せは誰でもみんな欲しいもの だけどお金じゃつかめない♪」というある意味ベタな歌詞ですが、ハッピーなメロディに乗って、渋い男性コーラスによって歌われると、「そうそう、幸せってお金じゃ買えないのよね。まぁある程度まではお金で買えることは確かだけど、でも本当の心の充足は自分でつかむしかないのよね」なんて思ったりして。



それにしてもこの映画、やっと見ることができて良かった。だって、瀬川昌治監督だから! 実は、去年見た映画のなかで一番面白かったのが、瀬川昌治監督の映画だったのです。去年、ラピュタ阿佐ヶ谷でやっていた「瀬川昌治の乾杯ごきげん映画術」という特集で、『喜劇 男の腕だめし』(1974年 松竹)という映画を見たのですが、これがもう傑作中の傑作だったんです。フランキー堺も太地喜和子も石橋蓮司も、芸人根性にあふれてキラキラしていて、演出もストーリーも爽快で粋で。こんなに面白いコメディ映画が日本にあったなんて! と、衝撃を受けました。思いもよらないところで素晴らしいものを発見するのって、本当に嬉しいものですよね。例えば、全然期待しないで生活費を稼ぐためだけに入った職場で、凄いイイ男がいるのを発見しちゃった時のような……(どういうたとえ話だ笑)。

この映画(『喜劇 男の腕だめし』)、ビデオにもDVDにもなっていないのが非常に悔しい、というか「なんで?」という感じです。純粋に不思議。でも、いわゆるインテリの方々って、おふざけやお笑いよりも真面目で深刻なもののほうが「上」だと思ってることも多いみたいだから、仕方が無いのかな。でも良くも悪くもお笑いブーム花盛りの現在、お笑い=「下」なんていう古くさい価値観は、最近のインテリの間でも時代遅れのものになっていると思いたいものです。そういえば昔、良質のコメディが好きだと語る私にむかって、「私、コメディってキライだから」と五月蝿そうにおっしゃった超インテリエリート嬢もいらっしゃいました。お元気ですか?(って絶対にこのブログは見ていない笑)。


というわけで、今年も良質のコメディ映画に出会えますように! そして、早く膝の皮膚が再生しますように〜。


 
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