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【本】 『SとM』鹿島茂  〜または、M男の増加とイイ男論。

2008.05.04 Sunday

世の趨勢に反して、血液型性格判断というものがとても好きではありません。だって、血液型性格判断って、星占いと同じようなものですよ? 個人的な趣味で星占いがお好きなんでしたら「ご自由にどうぞ」ですけど、星座で性格や未来を判定するのが当然とされてしまったら、「ちょっと待った!」と言いたくなりますよね? それと同じだと思うんですが。まぁそんなことでプンプンする私って大人気ないな、とは思いますよ……。でもたまには大人気ないことも言わないと、精神的にどんどん丸くなって老けていっちゃうから、たまには怒ったりすることも大切なのです、ってことで(笑)。

そんな血液型性格判断にくわえて、ここ10年くらいの間で急激に増えてきたのが、SM性格判断。……とは言わないのかもしれませんが、「私ってSだから〜」「僕ドMですよー」なんて、その人の性的嗜好についてではなく、単なる性格タイプを表す言葉として、気軽に使われるようになってきていますよね。これについては、私もプンプンするどころか、面白いな〜と思っていました。だって、「血液型」=「血液中の血球がもっている抗原(免疫反応を引き起こす物質)の組み合わせ」によって性格が自動的に決まる、なんていう意味不明かつ何の発展性もない話よりも、過去の自分の行動や心理などから、自分で自分を「支配的かも」「被支配的かも」「あーでも違うかもしれない」なんていろいろ考えさせられてしまう話のほうが、よっぽど面白いですから。


ところが。そんな「S=支配するのが好き」「M=支配されるのが好き」という世間のSM観に、「ちょっと待った!」をかけるのが、本書『SとM』(幻冬舎新書)。いつも人間のさまざまな欲望や好奇心について膨大な書物の山から検証し、鮮やかに解き明かしてくれる鹿島茂>教授の新刊です。


まず面白かったのは、ある一人の人間がはじめからSかMどちらかの性質をもっているというわけではない、ということ。SかMかというのは、「他者との関係性」によって決まることで、ある人に対してSの人が、別の人に対してはMになることもあり得るのだ、と。……そうそう、そうなのよ! わかる!! と深く頷いた私ですが、あの、別に、私は残念ながらそういう性的嗜好をもっているわけではなく、SM性格判断的に深く頷いただけです(念のため)。

一番重要なことは、まずは、Mの欲望ありき、Mの妄想ありき、だということ。まずはMの「ああしてほしい」「こうしてほしい」という強い欲望があり、それに対してSがMのしてほしいことを感じとり、Mの欲望にこたえてあげる。そういう関係性になっているのが、本来のSMなんだそうです。本書では、こういう説明がありました。
Mの人というのは、想像力の中で自分なりのSのイメージ作りをおこなうわけですから、たいていは極端に「ワガママ」な人です。
Sは「そういうMの理想に従って鋳造されてしまう人」です。だから、サービス精神満点でなければなりません。(中略)主導権は、ほんとうのSMにおいては、完全にMにあるわけです。みうらじゅん氏に、「SはサービスのSだ」という名言がありますが、まさにそうで、Sは、相手の欲望を汲みとるために、想像力が豊かじゃないと務まらないので、たいへんなのです。

世間では、加虐的で支配欲の塊のような人こそがS、と思われがちですが、違うんですねぇ。そういう他人を支配したいという欲求から暴力や加虐を好むような人は、単に歪んだ自己愛をもった危険な人間というだけで、SMとは何の関係もない、と鹿島氏は書いています。なるほど。本当のSは、相手の考えていることを感じとり、それにこたえてあげなくてはならない。「Sは、Mが求めている理想に沿って演技しなければならないパフォーマー」。これは、あるていどの想像力とホスピタリティの持ち主じゃないと、無理ですよね。

でも、これは想像力やホスピタリティの能力の問題というよりも、そういうことが好きかどうか、という性格や嗜好の問題かもしれない、と私などは思いました。つまり、相手の考えていることを想像して「今この人こういう風に考えたかな?」とか「私がこう言ったらどういう反応するかな?」と想像するのが好きな人。で、その反応如何で、「こういう良い反応が来たから次からこう言おう」とか「こんな表情されちゃったからこうしてみよう」とか相手の反応に沿って対応することに面白さを感じたり、意味があると思える人。

って考えてみて、ハッとしました。私、こういうことが好きなので。相手の考えていることを想像したり、相手の反応に対して自分が反応することで相手の新しい一面を発見したり、ということは単純に面白いなと思う。でも、そうやっていつも相手に合わせがちになってしまうところが、性格判断的にはMなんだろうなぁ、と今まで思っていましたが、実はSなのかも(笑)? とすると、今までは「もう少しS的要素を増やしていかないとダメだわ」と思っていたけど、そうじゃなくて、「もう少しM的要素を増やしていかないとダメだ」ってことなのか。つまり、強烈な自己の欲望と妄想と、その実現、という意味で(しかし、ただでさえ妄想肥大している私なので、もうこれ以上妄想をかかえこみたくないんですけど……)。あ、これはもちろん、性格判断的な次元の話です。



ところで、SMという文化は、そもそもヨーロッパの文化です。にもかかわらず、日本は、例外的にSMが好まれている「SM先進国」なんだそうです(笑)。しかも、最近はMの方がどんどん増えているんだとか。本書にも、
「以前は、SMに来る男はSになりたがっていましたよね。M願望の男なんて、一割にも満たなかったのに……今は、M志望の男が、三割か四割になってきているよ!」
というSM業界の方の嘆きが記されていました。

でも思うのですが、そういうお店でMになりたがる方って、普段S的な行動をとっている方なんじゃないかしら。よくわかりませんが、違うかな。だから、今Mの方が増えているということは、現実世界ではS的な行動をとっている人か、もしくはイヤイヤながらもS的な行動をとることを余儀なくされている人が増えている、ということなのかも。

確かに、日本の経済が横ばいもしくは下向きになり、わかりやすい成功パターンも消滅し、あわてて欧米から成果主義なぞを輸入してきて、さぁ自分で考えて自分で行動しろ! とか言われても、そもそも「周囲から浮かないように皆なと同じ行動をとって仲良くしましょうね」という日本社会で育った人間に、自分で考えて自分で行動するなんてことがそう簡単にできるはずもなく(だってやったことないんだから)、人々へのプレッシャーは増すばかり。それまでは「先生やママの言うことをちゃんと聞けば、あとは好き勝手やっててOKよ」と教育されてきた(主にママから)のに、社会に出たら急に「さぁ世の中のニーズを把握してそれにこたえられるよう、状況をコントロールせよ」と言われても、そりゃあ戸惑いますよね。M的な行動(自分の欲望肥大と他人まかせと受け身志向)をとるよう教育されてきたのに、ある日突然、S的な行動(他人の欲求把握とそれへの奉仕とリーダーシップ)を求められるわけで、それはかなりキツイ。そんなプレッシャーが、M男増加を後押ししているのかもしれません。って、想像ですけど。


ここで、ふと頭に浮かんだのが、ここ数年、女子の会話でよく耳にする「いい男がいない」説。この「いい男がいない」説と、M男増加とは、非常に深い関係があるのではないか?ということに、ふと気が付きました。そういう話になると、私はいつも「いい男って具体的にどんな人?」と尋ねることにしているのですが、帰ってくる答えは、たいてい男性の性格や性質について、なのです。たとえば、「優しい人」「男らしい人」「清潔な人」「頼りがいがある人」「包容力のある人」「仕事ができる人」「リーダーシップのある人」「話が面白い人」などなど。意外にも、外見についての細かい注文をつけた女性には、ほとんど出会ったことがありません。

外見よりも性格について主に言及するということは、外見的な美しさやカッコよさよりも、その人との関係性を重視するということです。そしてそれは、ハッキリ言ってしまえば、自分をどう扱ってくれるかということを重視する、ということなのではないでしょうか。つまり、女性の欲望を汲みとって満たしてくれる(もしくは満たしてくれそう)な人、要するにS的な要素をもった人、それがいい男だと、女性は思っている、ということだと思うのです。

そういえば、以前、藤原紀香が陣内と結婚したのを見て、「究極的に、人は、見た目が優れている人間よりも、自分の欲求を丁寧に汲みとって奉仕してくれるような人間(……と、勝手に陣内をそうだとキメツケてますけど笑)を側においておきたいものなんだなぁ」と思ったものです。ちなみに、彼らにSM関係を適応するとすれば、紀香がMで陣内がS、ということになるかと思いますが。そう考えると、格差婚とかいろいろ言われていましたが、女性としての頂点を極めた(とも言える)藤原紀香は、女性の究極の望みを叶えた、のかもしれません。

ただ、陣内のようなホスピタリティ満点の男性が世の中に大勢いるとは思えず。「自分の欲望を他人に満たしてもらいたがるM的な男性」が増えている(らしい)現代において、「相手の考えを想像してそれに沿って対応してあげるS的な男性」を求める女性は、いつまでも「いい男がいない」と嘆くしかないのでしょうか。


しかし。そもそも、男性が満たしてあげるS的な立場で、女性が満たされるM的な立場、という世間的常識(?)自体にもう無理があるのではないか、もう男性をそういう立場から解放してあげてもいいのではないか、と思ったりする私です。だって、そういう意味で「いい男」と言えるような人なんて、あるていど年齢的にも成熟した大人の男性にしかいないかも、ですよ。40代以上の男性がセクシーに感じるのは、そういうことでもアリ。これは偏見かもしれませんが、ある世代以降の方々は、みんなとってもママに可愛がられて育ってますよね? いや、もちろん、それが悪いとは思わないしマザコンだとか言うつもりも毛頭ありません(←言ってるけど笑)。そうやってママに「いい子ねいい子ね」と可愛がられて育った男性は、性格的にも穏やかで、どこかのんびりしていて、ひねくれたところが無くて、最終的にはいい旦那さま&いいパパになるタイプが多いと思うんです。だけど、若い時代においてはなかなかその甘えん坊思考回路が抜けなくて、女子からしたら「頼りない」「男らしくない」「包容力がない」と見られがちなのでは。

でも、いいと思うんですよねー。頼りなくても。男らしくなくても。包容力がなくても。そんなもの、長い人生やっていれば、あるていどは獲得できますから(もちろん自分で獲得しようと努力しないと一生ダメですけど)。それに、そんなもの、実は女性のほうがもってることが多かったりしますから、素直に女性に甘えちゃえばいいんだと思うんです。あ、でもそんなことしたら「頼りない」って言われちゃうからダメじゃん、って? いや、ポイントはそこじゃないんですよ〜実は。そうじゃなくて、実際は頼りないくせにそうじゃないフリして威張ったり、とり繕ったり、誤魔化したり、コンプレックスもって卑屈になったりするから、女子に「本当はそんな能力ないくせに!」ってソッポ向かれることになる。セコイのが一番嫌われちゃうんですよね(ま、とり繕ったり虚勢を張ってるのがバレバレになってるのって、ある意味カワイイと思うのですが、一般的には嫌がられること多しです)。逆に、平気で堂々と甘えてこられると、思わず「カワイイのねー」っていい子いい子したくなる。人ってそういうものじゃないでしょうか? 甘えも突き抜ければ、ある意味潔くて、すごく魅力的。私なんかはそう思いますが……、そんな私の意見はいつも少数派なので、あまり参考にしないほうがいいかも、です(笑)。


そんなわけで、M男の増加から、勝手に「いい男論」に話は飛びましたが。本書『SとM』(幻冬舎新書)では、SMの起源や発展、そして日本におけるSMの意義まで、わかりやすく説き明かされています。マニアな興奮を求める方にはオススメできませんが(笑)、知的興奮を求める方にはオススメ! ぜひ読んでみてくださいね。

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