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【雑記】 ラヴ・パレードustを見て思ったこと。もしくは、日本の人びとの書きこみ熱について。

2010.07.26 Monday

先日の24日、ガンガンに冷房をかけた部屋でゲロルシュタイナー(ドイツ産天然炭酸水です)を飲みながら、ドイツ・デュイスブルグ(Duisburg)でおこなわれていた「ラブ・パレード(LOVE PARADE)」のustreamをチラ見してました。何しろustで見ていても人出がスゴくて、「すんごい人だな〜!ウッドストックみたいな感じー?」とか思っていたら、死者が20人、負傷者が400人という大惨事に…。夏フェス「ラヴ・パレード」はついに廃止決定。残念なことですね。。


それにしても、「ラヴ・パレード」のustreamを見ていて私が驚いたのは、現場の人の多さというよりも、日本人の日本語書きこみの多さ! タイムラインは日本語で埋め尽くされ、しかも数秒のうちに消えるくらいのハイスピードで流れてゆく…、まぁ、dommuneでも既におなじみの光景に過ぎないんですが、やっぱり海外の人から見たらちょっと「異様」だったみたいです。「日本語ばかり書くな」「日本人消えろ」などの英語TLも目立ちました…。別に海外の人の感覚がまともで、日本人の感覚がおかしいとは言いませんけど、なんだかustを見ながら、「なにもこんな場所(つまり、よそ様の場所)で日本の習慣丸出しにしなくてもいいのにな…」と思ったのと同時に、「だけどどうして日本の人って、こんなに“書きこみたがり屋さん”なんだろう? これは一体どういう現象なんだろう?」と、もう、そればかりが気になって気になって…。



以前から思ってたんですけど、日本の人って、もの凄くインターネットでの発言に「熱心」で「情熱的」ですよね(ブログ数の言語別統計で、日本語と英語がほぼ同%で世界トップ! という恐ろしいデータも… →こちら)。掲示板とか2chとかブログとかコメント欄とか、さらにツィッターとかustreamとか、もの凄〜〜〜くマメに書きこみますよね(そうじゃない人ももちろんいますが)。いや、これは全然イヤミとかではなくて、私などは飽きっぽいので同じことをするのにすぐ飽きてしまうというのももちろんありますし、そもそも何かを書く前に「これは誰かにとって意味があることだろうか?」「これは何か新しいところや面白いところがあるだろうか?」「何か他人をウンザリさせるものになっていないか?」とかいちいち考えちゃうので、あまり気軽に書けないのです。その手間を考えると、なんだか書く前から、もうメンドクサくなってしまいがちなんですよね…。でもそれって、いちいち「重い」ってことだと思うんですよ。

一方で、ブログやツィッターやustreamに躊躇なく書きこむ、たとえば「渋谷なう」「龍馬伝みてる」「今日のランチはカレー♪」とか、ある意味で「…で?」と言うことも可能な多くの書きこみ(もちろん私だってそういうの書きます)には、ある意味の「軽さ」があり、もの凄く、何ていうか、この「軽さ」はとても理想的なまでに「未来的」な感じ、がするのです。この表層的なまでの「軽さ」ゆえ、日本の文化が海外の人々の目に「特殊なもの」に映り、「オリジナルなもの」としてウケているのだろうことは、たぶん私が指摘するまでもないのでしょうきっと(詳しくは知らないけど)。だけどこれが本当に未来的なのか、それとも異質なだけなのか、またもや退廃なのか、それは私にはわかりません。だけどこれって、「重い」側から見ると、この感覚は、ものすごく、「新しい」感じがするはず。一瞬、フィリップ・K・ディック星新一のSF小説世界のような気さえするほどに(笑)。

でも、ふと我に返ると、日本においてはこういう感覚、別に新しくもなんともない、以前からあるものなのかもしれない、と思いました。

というのは、日本の人々には、突きつめた意味での「意味」や「目的」はなく、あるのは「細部」と「具体性」ばかりだから。言い換えると、「意味」や「目的」は世の中に既にあるものであって、個々人はその(少ない)選択肢のなかから選ぶしかなく、個々人がしゃかりきになって「意味とは?」「目的とは?」「本質とは?」なんていちいち考える必要はない。むしろ、なるべく「意味とは?」「目的とは?」「本質とは?」なんて口ごたえ(!!)しないこと、それが日本人の品格というものですよ。という教育がされているところ、ありますよね。

要するにこうです、「決められたことは疑問をもたずに従いなさい。その代わり、そのほかに関してはすべてアナタたちの自由なのです。ただし、決められた範囲内でね。さあ、楽しみましょう!」。←これをイメージしようとすると、どうしても、公園の砂場のなかで子どもたちがキャーキャーやってて、その周りに柵が立てられてて、その向こうから先生やママが見張ってる、っていう図なってしまうんですが…。


ああ、こんなこと書こうと思ったわけではなかったのです、つい手がすべりました。。だけど私が一番言いたいのはこのことではないのです。そうではなく私が言いたいのは、多くの人は、そういう状態にいることに、実は無意識レベルでのストレスをかなり感じているのではないか? ということなのです。

たとえば今、草食系男子の増加が〜とか言われていますけど、あれはそういうストレスへの“消極的な反抗”ともとれるかと思うのです。「どうせこんな状態に置かれてどこにも行けやしないのに、しゃかりきになったってどうせたいした差はないじゃん。意味のない頑張りなんかするわけないでしょ? そこまでバカじゃないッすよ」…と、草食系と言われる若い男性(30代も含む)は感じてると思う。それは自然な感覚ですよね。


そういう囲いこみ状態の、つまり「意味」と「目的」を自分で見出すことを封じられた人々においては、「細部」や「具体性」だけは自分の自由になる大切なものであり、それは必然的に実際の役割以上に“切実なもの”にならざるを得ない。だけど「細部」や「具体性」への切実さというのは、こだわればこだわるほど個人的なもの、私的空間的なものになり、それは公的空間に普通はあまりなじまないものなのではないでしょうか。

思うに、ブログでもツィッターでもustreamでもいいんですが、インターネットって、「私的空間でもあり公的空間でもある場所」なのですよね。もちろん、よく考えれば本質的には公的空間だということは明らかなのですが、自分の感覚を鑑みてもそうなのですが、発信側の感覚としては私的空間にちかい。ここらへんが、意味や目的や本質を問う習慣がないと、特に曖昧になる。

そういう「公的空間」でもあり「私的空間」でもある場所だからこそ、誰かに向けて、自分の外のどこかの世界に向けて、そうした個人的な「細部」や「具体性」を(文字や画像というかたちにして)、放たずにはいられない。軽いがゆえに、いくつも、いくつも。まるで誰の手に渡るのかもわからない風船を、いくつも空に放つかのように。だけど、たいていの風船は、いずれどこかの空き地や道端にしぼんで落ちて、そのままになることも分かってる。だからこそ、その風船を誰かひとりでも受け取ってくれたということがわかったなら、それだけで、彼の心は暖かいもので満たされるのだ。一瞬でも。


なんて無欲で、なんて切ないんだろう。


「ラヴ・パレード」のustreamの、瞬時に流れ去る日本語で埋め尽くされたタイムラインを眺めながら、そんなことを考えたのでした。





そうそう、おまけですが、ラヴ・パレード廃止に哀悼の意を表して、2003年に私が行ったラヴ・パレード in ベルリンの様子を載せておきたいと思います(以前『ベルリン記』というのをネットに書いてたんですが、ラヴ・パレードのことを書かずに放置したままだったので…)。

今年のラヴ・パレードはドイツのドゥイスブルグで行われてましたが、ずっとベルリンで行われていたんですよね。ドゥイスブルグの会場は、四方が囲まれていて、入り口も1つしかなかったため「閉じ込められ状態」が発生したみたいでしたが、ベルリンの時は広〜い道(ジーゲスゾイレとブランデンブルグ門をつなぐ道路)全体が会場で、そのまわりも広大な公園(ティーアガルテン)だったので、閉じ込められようがなかったと思います、確か。

2003年のラヴ・パレードは、雷→雨→晴天という変わりやすい天気だったのもあってか、人もそんなに多くなく、ハッキリ言ってあんまり盛り上がってませんでした。ベルリナーたちも「観光客が多くてウザイから行かない」みたいなノリでした(笑)。


雨雲とジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)。




こういうひとたち、別にフツーでした。




「アディダス」はドイツのブランドです!




信号機の上に乗るかなぁ、普通…。ポリスも大勢いたのに全くおとがめナシ。。




テクノイベントであろうが、ゲイパレードであろうが、子どももオトーさんも参加する。そういう雰囲気がいいなと思うのです。




地元の人々にとっては、ラヴ・パレードそのものよりも、その前後にベルリンにあるあちこちのクラブでおこなわれるパーティのほうがメイン、という感じ受けました。私も、卓球がまわすパーティとか行きました(笑)。

あと、ラヴ・パレード当日の夜にタヘレス(TACHELES)っていう落書き満載の廃墟でやってた、ゴアトランス系パーティは楽しかったな〜〜 廃墟全体がパーティ会場で、Planet B.E.Nが庭でライヴやっていて、この世のものとは思えないほどの高速で動く男の子(たぶん踊ってたんだと思う笑)がいて息が吸えないくらい笑ったり、スキンヘッド鼻ピアス上半身裸に総刺青ガテン系でも顔はカワイイっていう男の子が話しかけてきて、でも東ドイツ出身だから英語が一言も話せないということに驚いたり(ドイツ人はたいてい英語ペラペラだから)したのを思い出しました(…って、思い出語り、すいません)。


あと、ベルリンで最も楽しかったのは、なんといっても「ゲイ・パレード」! 最高。ファビュラスでゴージャスでファンタスティックな人々が大集合! その様子は、むかーし書いたことがあるので、ご興味のある方はご覧ください〜。「ゲイ・パレード」は、「ラヴ・パレード」と違って廃止になることはないでしょうからまた行ってみたいです。

  >『ベルリン記』内 「レインボー!ブラボー!ゲイ・パレード! heavy編
  >『ベルリン記』内 「レインボー!ブラボー!ゲイ・パレード! light編




「……何か?」



ちなみに上の彼女(彼)たちのドレスは、ドイツ中にある大型スーパーマーケット「ALDI」のビニル袋。
コレ。








青空にそびえるブランデンブルグ門! また行きたいなー(お金貯めよう)。








■お知らせ
ステキな和のセレクトショップ「WAGU select」で連載させていただいている、井嶋ナギのキモノ映画コラム「美女とキモノ。または映画におけるキモノ美女の研究。」。vol.12は、太宰治原作、浅野忠信と松たか子主演の『ヴィヨンの妻』です。今回は、「ダメ男はなぜモテるのか?」という永遠のテーマについて分析してみました〜 ぜひご覧くださいね♪





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