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【本】 答えが簡単に出ないって、そんなに無駄なこと?  〜武藤整司 『人間の輪郭』を読む。

2009.10.01 Thursday


最近、とても面白い本を読みました。『人間の輪郭』という本です。わかりやすく一言で言えば、「“そもそも”を問うための本」。“そもそも”とは、「そもそも、人間とはどういうものなのか?」「そもそも、生きるとはどういうことか?」「そもそも、学ぶとはどういうことか?」等々々々。

そんな純粋な“そもそも”を、誰もが一度は問うてみたことがあるのではないでしょうか。でも、問いがあまりに大きすぎると、何から手をつけてよいのやらわからなくなるもの。で、混乱したり迷ったりして、やがてそんな中途半端な状態に耐えられなくなって、「あ〜〜わかんないからもういいや! 考えるのやめ!」と、そうした問いから手を離してしまう。そんな人が決まって言うのは、「考えても答えが出ないことを考えるのは無駄」「考えたって何の得もない」です。

だけど、果たしてそうでしょうか? 答えが簡単に出ないって、そんなに無駄なこと? 得するって、そんなに大事なこと? 

もしこの問いにYESと答える人がいるとしたら、その人の人生はさぞかし大変なことでしょうね。だって、よく考えてみれば誰でも分かりますが、人生において簡単に答えが出ることなんてほとんどないし、得することなんか滅多にないのですから。まぁ、だからこそ、世の中には、「答えはココにありますよ、お金さえ払えば手にはいりますよ!」「コレをちょっとこうすれば、得すること間違いなし!」といった声に満ちているんでしょうけれど。簡単に答えが出ることなんてほとんどないし、得することだって滅多にないからこそ、その「問い」&「答え」セットは、貴重な商品となるし、コントロールのための有効な道具ともなり得るわけで。

だけど、そんな他人から与えられた「問い」&「答え」セットに頼ってばかりしていると、いつの間にか、いつも誰かに「問い」を見出してもらい、いつも誰かに「答え」を考えてもらっている、という状態に……。それでは、自分の人生を精一杯生きるというよりも、他人の人生を頑張って生きる、ということになってしまうのでは? 



だからやっぱり、答えが簡単に出ない問いや、得するわけでもない問い、“そもそも”の問いを、決して手放してはいけないんだと思うのです。もちろん、そうした問いに対する答えなんて、簡単に見つからないに決まってますけど、それでも頑張ってこの問いを手の中にグッと握っていないと、人って簡単に自分の人生を他人に預けちゃうんですよ……。なぜなら、そのほうが、ラクだから。大変なのとか面倒くさいのとかみっともないと思われるのとかが、イヤだから。

だけど、そのツケはやってくるのです。本書『人間の輪郭』にこのような一節がありました。

もちろん、たいていの場合、大雑把な世界観・人生観をもっていればこの世を渡ってゆくことはできる。個人個人の人生哲学さえあれば、それで生きてゆける。加えて利に敏(さと)ければ、十分に現世的な幸福を得られるのである。何を好き好んで、改めて哲学などする必要があるだろうか、出来合いの人生哲学で十分にこの世を渡ってゆけるのに……。

しかし、そのように営々と生きてきて、中年を過ぎ、老年に至って、ふと自らを振り返ってみると、何もしていないことに気付き、あるいはしないで済んだことの多いことに気付き、愕然とするひとも数多くいる。なぜか。人は必ず死ぬという厳然とした事実に直面するからである。いくら金儲けをしても、必ず死ぬ。いくら異性にもてたとしても、必ず死ぬ。どんな快楽を味わったとしても、必ず死ぬ。この死というものから逃れる術はない。そういった現実に気付くと、人生の意味が朦朧としてくる。

人は、死ぬんですよね、私も。死から逆算して考えれば、物事の本質が見えてきて、「あー、あの「問い」&「答え」セットなんてどうでもよかったのに、馬鹿みたい!」とか「そんなことよりこっちのほうが大事なはずなのに、なんで放置してるんだ?!」とか(笑)。



ちなみに上の引用文で「哲学をする」という言い方をされている、哲学的な態度というのは、アカデミックな場における学問としての専門的な哲学とはちょっと異なります。そうではなく、「philosophy(哲学)」のギリシャ語語源である、「philo(愛する)」+「sophia(知)」=「知を愛する」、という意味での、哲学的態度。そんな哲学的態度はどのようなものかと言うと、

何ごとにも疑問を抱き、これはちょっとおかしいのではないかと思う感受性をもつ人が、世の中を変えてゆくことができる、一歩先に行った人である。言い換えれば、何ごとにも不思議を感じ、はたしてこれでいいのかと疑問を抱くことのできる人が哲学的精神をもつ人である。

ああ、これなんですよね、やっぱり。特に難しいことではありません。ある意味では、普通のこと。以前私もちらっと書きましたが(「黄色のレンガは自分で敷く! 〜どうして生きるのか?という問いと、ニセモノの真実。」)、「どうして?」「なぜ?」「これは何?」「これ変じゃない?」と少しでも感じたら、素直に問い、考える。それによって、結局は、、苦しいことも悲しいことも嫌なことも、自分の新しいエネルギーに変えることができるはずなんですよね。負を負のままにせず、負から負を生むのでもなく、負から正を生み出すこと、それは自分にとって良いことであるのはもちろん、ひいては他人にとっても、世界にとっても、良いことになり得ると思うのですが……楽観的すぎるでしょうか? でも、他人に指示されるのではない自分自身の人生を、より良く、満足して生きるための、それ以外にいい方法を、私は知らないのです。



そんなわけですが、『人間の輪郭』は、「生きるとは何か」「学ぶとは何か」「人間とは何か」「倫理とは何か」「居場所とは何か」などの“そもそも”の問いについて考えるための、わかりやすいヒントや貴重な前提を与えてくれる、とてもありがたい本でした。著書の武藤氏は、高知大学人文学部の教授。実は、以前、高知大学サイト内で拙書『色っぽいキモノ』に関してお褒めの言葉をいただいたことがありまして……(→こちら。ありがとうございます!)。それがご縁で本書を手にとらせていただきましたが、今まで手探りで「ああかな?」「こうかな?」と暗中模索していたような問題がまさに取り上げられていて、僭越ながら、生きていく勇気と確信をいただいた気が致しました。


最後に、『人間の輪郭』に引用されていた、デカルトの言葉を。

哲学することなしに生きてゆこうとするのは、まさしく、目を閉じてけっして開こうとしないのと同じことです」         〜『哲学の原理』序文





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