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【本】 『九鬼周造随筆集』  もしくは、無限の時のなかで踊ること。

2009.02.26 Thursday

バレンタインデーのあの小春日和よりこっち、急激な花粉の飛散により、私の鼻腔カレンダーは思いっきり、もう春。「今年もまた春が来たんだな、また私は桜を見に行くことになるんだな……」と、茫然とするような脱力するような思いにかられるのは、私だけではないはず。もちろん、春が来るのは嬉しいこと。でも、また春、ということは、それはつまり、また夏、また秋、また冬、また春、また夏、また秋、また冬、また春……を予感させることでもあって(→「桜:スペース・オデッセイ」参照)。

だけど、よく考えてみれば、「私が今年の桜の時期に生きている保証なんて、どこにもないじゃないか!」と、鼻腔をかすめる花粉に苛立ちながらも思うのです。「もしかして『漂流教室』みたいに、住んでる建物ごと異次元にワープしちゃうかもしれないじゃない!」とも思うのです。もちろん、決してそれを願ってるわけじゃありませんが、でも、その可能性がないとは誰が言えるでしょうか? 「そんなこと言うヤツに限って、図太くピンピンして生きていくんだって!」そんな声が聞こえてきそうです。ええ、その通りですよね(笑)。だからこそ、そんな可能性もゼロとは言えないよ、ということを、自分だけが自分に言ってあげないと。明日、また同じ自分がいると思ったら大間違いだよ、と。そんなことを言ってくれるのは、残念ながら、自分だけですから。



先日、神保町の古本屋で、『九鬼周造 随筆集』を買いました。

九鬼周造は、男爵の家に生まれ、岡倉天心のパトロンだった父と、もと祇園の芸妓(星崎初子)で後に岡倉天心と禁断の恋に落ちた母(→離縁→発狂)をもち、東京大学卒業後、ドイツでリッケルトに師事、フランスでベルクソンに会い、無名だったJ・P・サルトルをフランス語家庭教師として雇いパトロン的存在となり、再びドイツでハイデガーに師事、帰国後は京都大学の哲学教授となり、『「いき」の構造』(1930年)を発表、2度目の妻は祇園の芸妓(中西きくえ)で、「九鬼先生がいつも授業に遅刻してくるのは、毎朝祇園から人力車で乗り付けてくるからだ」と噂された……っていう人です(あらゆる意味で、スゴすぎ)。

その『九鬼周造 随筆集』のなかに『青海波(せいがいは)』というエッセイがあります。「青海波」とは、舞楽の演目のひとつ。『源氏物語』の「紅葉賀(もみじのが)」で、光源氏と頭の中将が舞う演目としても有名ですよね。「青海波」を舞う源氏と、御簾の向こうにいる藤壺の、禁断の恋を断ち切ろうとすればするほど執着してしまう心のうちが、舞によって昇華する、とても美しいシーンです(右画像は「青海波」という伝統柄。青海波を舞う時の衣装の柄から来てるのだそうです)。

で、このエッセイ『青海波』のテーマこそ、まさに私が感じていた「私が今年の桜の時期に生きている保証なんて、どこにもないじゃないか!」について、なのです(私の解釈によれば、ですが笑)。


斜辺上の正方形は他の二辺上の正方形の和に等しいとか、五の三倍は三十の半分に等しいとかいうことは論証的確実性をもっている。それに反して、太陽が明日のぼるだろうということは単に蓋然性しかもっていない。 (中略) 正月が来るであろうことは単に蓋然性しかもっていない。来ないことも可能である。来るか来ないかは一種の賭事にほかならない。


と、こう書き起こしています。でも、九鬼周造は一流の哲学者ですけれど、祇園の芸妓を妻するくらいですから、バランスよく現実世界に親しむことにも長けていたはず。哲学的な思考とは別に、「とは言うものの、どう考えれば生を素晴らしいものとして感受できるか?」という方向性が彼のなかに常にあったはず。

それで彼は、素直に、そういえば、去年も、一昨年も、その前も、その前々前も、高雄の紅葉が色づいて、比叡山が寒そうになって、京都に時雨がくると、やがて正月になったっけ……と思うのです。そして、以下。

同じように明後日をも迎えるであろう。明々後日をも、その翌日をも、その翌々日をも迎えるであろう。私はやがて正月を迎えるであろう。
甲があれば乙があり、乙があれば丙があり、丙があれば丁があった。甲1があれば乙1があり、乙1があれば丙1があり、丙1があれば丁1があった。甲2があれば乙2があり、乙2があれば丙2があり、丙2があれば丁2があった。甲乙丙丁、甲1乙1丙1丁1、甲2乙2丙2丁2、甲3乙3丙3丁3、甲4乙4丙4丁4、甲5乙5丙5丁5、甲6乙6丙6丁6、甲7乙7丙7丁7。波動だ。波動だ。同じ波が打っている。
年の波は同じ波長で、無限の岸へ重畳(ちょうじょう)するであろう。私の乗っている小舟がどのあたりで転覆するか。そんなことはどうでもいい。
波、波1、波2、波3、波4、波5……波n+1。見渡す限り波また波。無限の重畳そのものがとてもすばらしい



波n+1」。それはつまり、春がきて、夏がきて、秋がきて、冬がきて、また春がきて、夏がきて、秋がきて、冬がきて……という、この世の「時の推移の計算式」でしょう。

「春がきて、夏がきて、秋がきて、冬がきて、また春がきて、夏がきて、秋がきて、冬がくる。それは永遠に変わらない」という常識に対して、私は、「どうしてそう言えるのよ? 今年の春に自分が生きてるかどうかさえ、わからないじゃない? 『漂流教室』みたいに、ある日イキナリどこか異次元にワープしちゃうかもしれないじゃない!」と主張することで、ヒッシに対抗しようとしていました。

だけど、九鬼周造先生は、「波n+1」というエレガントな計算式を出してきて、「年の波は同じ波長で無限の岸へ重畳するであろう」「無限の重畳そのものがとてもすばらしい」なんて、シンプルで粋な回答を導き出してくるのです。春がきて、夏がきて、秋がきて、冬がきて、それが無限に繰り返されること、そのことがすばらしいのだ、と。

エレガントな言説に弱い私は、さっきまでの「そんなこと言ったって、漂流教室みたいになっちゃう可能性はゼロとは言えないじゃないのよ」話はどこへやら、「ああ、確かに、無限の重畳そのものが美しいのですよね〜〜」とウットリ。……さては九鬼先生、こんな感じで祇園の芸妓を口説いたな……。

って、、いや、待てよ。襟もとを正しながら、もう一度よく考えてみる。その「波n+1」が同じ波長で重畳するとして、その時間の重畳のなかにおける、空間はどうなるの? その波長の最中にいる人間の、その経験や行動や感情や言葉はどうなるの? 結局、私たちはその無限の波間から脱することができず、その狭い空間のなかで相も変わらず同じことをし続けなきゃいけないの? あまり頭がよくないなりに、漠然とした納得のいかなさが立ち込めてきたんですけど?

すると、九鬼先生の声のトーンは急激に高くなり……、


新春は「青海波」を舞おう。盤渉調(ばんしきちょう)をかき鳴らして青海波を舞おう。海波の色に波模様の衣をきせて新春の一日を魂にこころゆくばかり舞わせてやろう。 (中略) 青山という琵琶をとって青海波を弾くと、神殿が動いて内から二羽の千鳥が飛び出して舞ったという話をきいた。青山と青海波との結合は、いかなる奇蹟をも可能にする。青い波と青い山、私の魂はこれをおいてほかには新春に夢みるものはないであろう。




確信しました、私。九鬼周造も、たぶん、同じだ。「波n+1」の無限の重畳に、辟易している。この無限の繰り返しに、手も足も出ず呆然としている。だけど、どうしようがあると言うのか? 死にたいなら死ねばいいし、本当に『漂流教室』のように異次元に行けるなら行けばいい。だけど、どうやって? ……だからこそ、「無限の重畳そのものがとてもすばらしい」としか言いようがなかったのでは。

波、波1、波2、波3、波4、波5、波6、波7、波8、波9、波10……波n+1。

これのどこが、すばらしいのだ?

そう問われて、「そんなことはもう、問うても仕様が無いことじゃないか? そんなことより、舞おう! 舞いだ! 踊るのだ!! 波n+1の無限の重畳のなかで、舞い踊るんだよ。そうすれば、奇蹟がおこるかもしれないじゃないか……!」そんな、九鬼周造の切なる魂の叫びが聞こえてくるようではないですか。

やっぱりそうなのです。舞うのです。踊るしかないのです。って、当然か。というわけで、今年も大いに踊る!!! この文章を読んで、春に立ち向かう決心がつきました。だって踊るの大好きだもん! 踊ってるうちに千鳥にもなれば、ひょっとしたら山も動くでしょ(笑)。そのうち『漂流教室』みたいに異次元にワープしちゃって関谷化しちゃったとしても、それはそれ。踊りながら牛乳とパンを死守して生きていこうと思っております(意味不明)。

そして最後、九鬼周造先生は、きたるべき“時”に向けて、こんなふうに自他ともに励ますのでした。


波の数は無限だ。いつどの波間に溺れても大差はない。場所も無限だ。骨を埋むべき青山は至るところにあろう。魂よ、なぜに土くれの黒きにみずからを縛るか。魂よ殻を破れ。殻を破れ。千鳥となって魂よ、竜宮の青貝を海原の遠きにもとめよ。


そう、どこに骨を埋めたっていいのです。そう思えば、春も怖くない。もちろん、夏も、秋も、冬も、また来るだろう春も―。






◆九鬼周造『「いき」の構造』

言わずとも知れた名著。日本人の必読書。拙書『色っぽいキモノ』でも散々引用してるので、今更あえて明言するのも気恥ずかしいのですが…。

岩波文庫version『「いき」の構造 他二編』は、表題のほか『風流に関する一考察』『情緒の系図』が収録されていておトクですが、詳細な注釈がついた講談社学術文庫version『「いき」の構造』もオススメです!

ついでに、英語versionが併記された『対訳本 「いき」の構造』も出ました。外国の方に、日本文化を説明するときにもベンリなので即購入(「わび」「さび」とか「義理」「人情」だけじゃ、江戸文化や庶民文化は説明できませんー)。インテリな外国の方へのプレゼントにも◎です!




◆楳図かずお『漂流教室

超超超大傑作。ホントに傑作。ちなみに、この主人公の翔くん、誰にとっても理想の男性ですよねー?(小学生だけど)  男性も女性も、老いも若きも、日本人必読の書。

私が勝手に敬愛しまくってる祖父江慎さんが装丁を手がけたこの復刻版全3巻が、アメコミみたいなカッコよさでダントツお勧め。竹熊健太郎さんの「たけくまメモ」によると、「完全版の名にふさわしく、これまで刊行されたバージョンからなんと181ページもの未収録図版が増えている」そうです! あ〜、久しぶりに、関谷の名セリフ「このパンは全部おれのものだーー!」に会いたい。



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