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【着物】 新年早々のキモノ、その1。 非日常をキープする。誇りをもって生きる。

2009.02.17 Tuesday

最近、またキモノ熱が高まっております。一時期ちょっと沈静化していたのですが、またもや着物が着たい熱が高まってきました。

結局、私が着物に求めているのは「非日常」であって、それにどっぷり浸りすぎてそれが「日常」になってしまうと、とたんに熱が醒めてしまう、というところがあるのかも。もちろん、単に、着物というファッション自体が好きなんですけど(でも着物が日常の時代に生きてたら、真っ先に洋服を着ようとするタイプかも、とも思ったりする)。

でも、よく考えたら、あまりにのめりこむからそうなるんであって(笑)。何でも「全力投球できないなら、意味ないじゃん!」と思いがちな、良く言えば“情熱的”、悪く言えば“青臭い”ところがあるんですが、そうじゃなくて、ちょうどいい程度に、着物の「非日常性」をキープできる程度に、着物を着ればいいんじゃないの? と、最近そう思うに至りました。そう、あれと同じかも。彼女(彼氏)とあまりに生活を共にし過ぎると、ラブラブ度が低下しちゃうから、ホントはいつも一緒にいたいけど、一緒に住まない程度に付き合うことにした、みたいな(笑)? 

そこらへんの呼吸っていうか、程度っていうか、「付かず離れずの距離感コントロール問題」って、大人になると結構、必須ですよね〜、何事においても。この「人為的な非日常の創造」というか、「人為的な飢餓状態の創造」って、意外と生きていくうえで重要な気がしている、いっぱしにアダルトな私です。



って、そんなことはどうでもよくて(笑)! 今年に入って初めて着た着物は、祖母が娘時代に着ていた、ブルーの加賀友禅の中振袖。去年もよく着てたアレです(→「2008年のキモノ生活を振り返る その2」を参照ください)。



髪の毛をアップにする前。



なぜ中振袖を着たのかと言いますと、1月の新年早々、私の踊りの師匠である花柳美嘉千代先生とそのお姉様と、松風若裕先生の小唄の会の新年会で踊ることになったのです。もと新橋芸者だった松風若裕先生は、凛としていて貫禄があって、「私もこういうふうに自分という柱をしっかりと地に立てて年齢を重ねたい」と思わされました。



余談ですけど、日本文化の周りをウロウロしていると、本当に、カッコイイ女性がたくさんいて、活力と勇気をもらえることがしょっちゅうなんです。だって、自分のやるべきことに邁進し、誇りと自信をもって自分だけの人生を全うしようとしている、そんな年上の女性がたくさんいるんだもの。私の踊りの師匠である美嘉千代先生もそうなんですが、そういう人たちの存在が、どれだけ生きる勇気をくれることか。

20代の頃、世にうっすらと漂う「若くない女=価値がない」という価値観を肌身に感じていた私は、「今は若いからいいけど、でもその後はどうなるんだろう? どうすればいいんだろう?」ともの凄い不安にかられ、お手本になるような年上の女性のロールモデルを必死で探しまわっていました。それは、たとえば、宇野千代だったり、森茉莉だったり、コレットだったり、加賀まり子だったり、ジャンヌ・モローだったりしたんですが(笑)、でも、そういうお手本になるような人と実際に会えたり身近にいたりしたら、もっといいですよね。

日本伝統文化の周りには、そういう年上のカッコイイ女性がいる確率が、かなり高いのです。自分の人生に、誇りと自信をもっている女性が。それはきっと日本の伝統文化が、“若さ”に価値を見出すのとはまた違う評価軸で、“老い”にも価値や美を見出すような、驚異的なパースペクティヴをもった幅のある文化だから、ではないでしょうか? 女性だけじゃないです。男性も同じで。現に私、今年のお正月にTV放映されていた、人間国宝3人(80歳の中村芝翫と、80歳の中村富十郎と、78歳の坂田藤十郎)の素踊り『老松』の録画映像を毎日のように見ながら、キャーキャー言ってますから。80歳の芝翫とか、もう、カッコイイったら!

だから、「私なんかもうオバサンだから」とか、「どうせ私なんて何の才能もないし」とか、「もう○○歳だから結婚相手探さなきゃ誰にも相手にされなくなる」とか、そういうのって、ゴメンナサイだけど、つまんないです…。本人がそう思うのは全然いいのですが、それを他人の上にまで普及させようとするのはどうかなと。だって、別に60過ぎたって相手はいるし、何かやるのに才能なんてそれほど必要ないし(ただし努力は必要)、いわゆる否定的な意味で「オバサン」という言葉を使う人とは付き合わなきゃいいだけ(ひたすら時間の無駄だから)ですものね。

生きる上で絶対に大切なこと、それは、「現状の肯定」と「未来への希望」です。だから、自分だけの人生を誇りをもって全うしたいなら、アナタ自身の現状や未来を否定してはいけないし、アナタの現状や未来を否定するような人とは付き合ってはいけない。単純なことですけど、これって結構、真理だと思うんです。




なんて、わけですが。そんなカッコイイお姐さま方と、お座敷らしい「騒ぎ」と「奴さん」を踊りました(間違えたけど…)。お座敷で踊るのは初めてでしたが、金屏風の前で、畳に緋毛氈をしいた上で踊るのは、なかなか難しいものだなと思いました。お座敷に出る芸者さんたちは、こういう環境で踊るんでしょうけど。

普通、日本舞踊の舞台は、足がよくすべるように、足踏みをした時に音がよく響くように、ヒノキの板が張ってあります。でも、畳に緋毛氈だと、おすべりや足踏みという動作は難しいので、必然的に、同じ踊りでも、舞台で踊るバージョンとは変わってくるんでしょうね。

んー。やっぱり、モノゴトって、環境によって変わってくるものなんだなー。自分の生きる環境、大事にしよう。




ところで、着物っていろいろ面倒くさい、と思われる理由のひとつに、「着る前に半襟を縫わなきゃいけない」というのがあります。そう。着物を着る前に、下着である長襦袢に、半襟を縫い付けなきゃいけないんですよねー! 実は、針と糸をもたずに、着物を着ることはできないのでした(他人にやらせるなら別だけど)。


こんな感じでマチ針を使って縫います。


ピンクの長襦袢に、白い半襟を縫いつけているところ。


私の半襟チクチクセット



私らしくもない、カントリーでパッチワークなハートの針山。これ、中学生のときに自分で作ったものなので、何となく捨てられずに使ってます。中学生のとき、『赤毛のアン』シリーズの熱狂的なファンで、将来プリンス・エドワード・アイランドに移住しようと心に誓い、スカートの下にペチコートはいてました……(そういう時代だったんですよ、と時代のせいにしてみる)。





というわけで、その2に続きます♪




◆おまけブックリスト。

私が20代のときに必死になって探してた、ロールモデルにしたい女性たちの本。こういうのを必死になって読んで、必死に将来を模索しようとしていました……(笑)。もちろん今でも、模索中ですけど。



(左上から)
純情ババァになりました。』加賀まりこ/著
女性誌「FRaU」での連載エッセイ(2000年4月25日号〜2004年2月10日号)の単行本化。自由奔放で可愛くて、それでいて何事にも真剣な、加賀まりこの魅力が炸裂した名著。

女優ジャンヌ・モロー 〜型破りの聖像(イコン)』マリアンヌ・グレイ/著
知性と色気と自由をもった「究極のいい女」と、誰もが尊敬する女優、ジャンヌ・モローの評伝。尊敬される女がいい女、なのですね、かの国では……。

わたしの修業時代』コレット/著
大好きなフランスの作家、シドニー・ガブリエル・コレットの波乱万丈の人生をつづった書。コレットの人生って「いかにして女が誰にも依存しない一人の人間として生きていくか?(容貌もキープしつつ)」っていう高尚かつ卑俗な問題と戦った人生だと思うのです。

私生活/加賀まりこ』立木義浩/撮影
当時27歳の、加賀まりこの超カワイイヌード写真集。エロくてもカワイイ。ブス顔してもカワイイ。何をしてもカワイイ。

ぼやきと怒りのマリア 〜ある編集者への手紙』森茉莉/著 小島千加子/編
森茉莉のノンシャランなエッセイはどれも素晴らしいけど、この編集者にあてた書簡集は、スゴイです。彼女の暗くて粘着質な部分が炸裂していて、それが切なくもあり、いとおしくもあり。でも、そりゃそうでしょ! そんなにラクラクのーんびりで生きていけるはず、ないじゃない! 

 
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