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【歌舞伎】 超私的な海老蔵論。 〜「オーラの泉」を見て思ったこと。

2008.11.26 Wednesday

先日の「オーラの泉」(テレ朝)、見ましたか? ゲストは、歌舞伎俳優の市川海老蔵。いやー、カッコよかったですよねー。何がカッコイイって、もちろん外見自体もカッコイイんですけど、あの負けん気の強さや我の強さ、それを隠そうともしない自信とふてぶてしさが。

江原氏に「(前世では)スコットランドにいて剣術をやっていた」と言われたエビ、「へーー!」といかにも調子を合わせているだけの(ように聞こえる)返答をし、「(前世では)日本にいたこともあって、山伏だった。だから火を見ていると落ち着くはず……」と言われると、「あー落ち着く落ち着く」と二度返事(笑)。そんなエビが、「どうしてもフラフラしてしまって(おそらく仕事や恋愛や生活の面において)一つのところに落ち着くことができないんですよね、どうしても耐えられなくなってしまうんですよ」と話すと、ついには美輪さんに「たった一人のフシマツで、脇役の人や劇場に関わる人、みんなが困るんですよ。だから覚悟をお決めなさい!」と諭される始末。最後に送られたスピリチュアル・アドバイスは、「地に足をつけて、一人前の心積もりを」でした……。

トーク終了後、国分太一がエビに向かって、「いやーでもオレ、あの2人にああいうふうに言われるの、海老蔵さんわかってたんじゃないかって思ったんですよ、スゴいレベルだなーって思ったんですよ!!」と、ビミョーなもちあげ方をすると、エビ、すかさず「でも(僕が)わかってるってことをわかってる方もスゴいんじゃないですか?」とサラっと返答。エビったら、なんてヤな子なんでしょう(笑)! 

今の時代、男性のメインストリームは、「優しい」か「おバカ」。とりあえず、他人の(特に女性の)言いなりになってくれそう(あくまでも幻想ですけど)なタイプが、万人に歓迎される時代。国民皆平等というどう考えても幻想でしかない幻想がやっぱり幻想だったとコドモでさえ気付き始めている現代だからこそ、よけいに自分以外の他人が突出してくるのは面白くないわけで、誰かが自分の欲望や向上心をあからさまにしようとすれば「生意気だ」「偉そうに」「何様?」と貶められるのが必定。だからこその、おバカブームなわけで。しかし、皆なそれほどまでに自分より「下」の人を求めてたの? それほどまでに自分に自信がないの? と思わなくもないです。だって、自分に燃えるような向上心があったら、ああいうのを見ると「自分の向上心をサカナでされるようないや〜な気分」になるものだと思うんですけどね(ま、カンケーないと言やカンケーないですが)。

そんな現代には、エビの如きキャラクターはあまり歓迎されないかもしれません。女の子に「性格悪そうだよねー」とか言われそうなタイプ(笑)。女子って勝手なもので、性格の良し悪しは、優しいか優しくないかで判断し、優しいか優しくないかは、自分の言いなりになるかならないか、で判断する。そんな女子に少しでも気に入られたいと思うのならば、男子は他人本位にならざるを得なくなり、他人本位ということは実際は他力本願につながっていき、結果的に無気力なおじさま&やりたい放題のおばさま大量発生、ということになるんでしょうね……と思ったり。だから、「優しい」&「おバカ」キャラクターを必要以上に祭り上げることは、将来的に日本を良くもしないし美しくもしないと思うのですが、でもそれはもしかして私の考えが飛躍しすぎなのかもしれません。

エビに話を戻しますが、私個人としては、この「オーラの泉」を見て、こういう役者が歌舞伎界に存在するということで、歌舞伎界の未来がどれほど明るくなることか! という思いを強く致しました。それは、エビが格別に美形でカッコイイから、ということではありません。それももちろん重要なことですけど、でも美形役者っていうんだったらほかにいないこともない。では、エビがしっかりと芸を継承している役者だからか、と言ったら、それも非常に重要なことですけど、でもそういう訓練を積んだ役者は歌舞伎界にはたくさんいます。

そうじゃないんです。私がエビにおいて最も素晴らしいと思ったのは、それは、常に未完成で、常に葛藤している人間だ、というところなんです。
「市川団十郎家を捨ててもいいという思いがあるんです、子供のときから。そういう思いを抑えきれない自分がいる」

「芝居をしている時は芝居のことばかりなんですけど、ひとたび休みが入ると海外に行こうかな、グリーンカード当たらないかな、くらいの勢いで考えたりします。さっきも考えてた(笑)」

「ギリギリまでフラフラしていたいんです。ええ、不動心が欠けてますね、明らかに欠けてます。耐えられなくなる」

なんてことを言うエビ。明らかに、自分に満足していないし、現状に満足していないし、たぶん歌舞伎界にも、日本にも、世の中にも、満足していない。そんな状態にある人間は、最終的に、「どうしたら自分は満足できるんだろう?」と考えるはめになる。そうすると、結局、とりあえずやってみる。試す。必要とあらば変更する。壊す。そして新たに作る。また疑問を感じるやってみる試す変更する……この試行錯誤プロセスを繰り返すしか道はないのです。

で、思うんですけど、今の時代に必要なことって、これじゃないですか? 優しいとかおバカとか、そんなぬるーい風呂に半身浴とか言って入ってても、そりゃあ長時間入っていられるかもしれませんが、全然暖まらないし血行良くならないし毛穴から老廃物も出ません。半身浴で痩せるとか美肌になるとかって、何の科学的根拠もないそうですし……。

だいたい、歌舞伎という、こんなことを書くとどこからか叱責されるかもしれませんが、ある意味で過去の遺産(でも実際、ユネスコから「世界遺産」に認定されましたしね)とも言えるそんな世界にいて、現代に生きる自分の存在意義を自問自答しないほうが不思議です。現代に生きる人間として、過去の遺産を守るためだけに生きることには空しさを覚えるのは当たり前だし、その家に生まれたからそうしなくてはいけないんだとすんなり思い込めるほど人間は単純ではない。

だいたい、そんな家に生まれてなかったとしても、人間はそう簡単に自分や自分の置かれた環境に満足できるものではありません。でも、だからといって、自分の可能性や多様性を育てるというのもそう簡単にできるものではない。じゃあどうするのかって言うと、普通はそうした欲求を小さく丸めて心の引き出しに仕舞い込み、その欲求がうっかり増殖して溢れ出してしまわないような方向に結構多大なエネルギーを費やしながら、ほどほどに諦める。それが一番ラクだし体裁もいいし安全。でも仕方がないですよね、それは。人一人に与えられた資産(経済的にも能力的にも生命力的にも)は限られているし、人が一人が生きていくのはそれだけで大変なことですから、そういうやりくりは必ず必要になる。

でも、世の中には、それができない人もいる。自分や自分の置かれた環境に簡単には満足できず、自分の可能性や多様性を育てることに全てを賭けてもいいと思っちゃうような人。たとえば芸術家や芸能人には、そういう人がたくさんいるでしょう。そういう原始的なエネルギーがある種の形として昇華したとき、それは何とも言えない魅力となって多くの人を惹きつけるわけで。ある意味で、自分ができないことを代行してくれる他人自分の欲望を体現してくれる他人自分がなれたかもしれない他人。そういう「代行者」は、決して、地に足つけた分別ある大人であり良き家庭人であり正しい社会人、である必要はない。だって、「地に足つけた分別ある大人であり良き家庭人であり正しい社会人」は、こっち側がとっくにやってるんですから(一応は笑)。そっちはそっちでやってくれないと存在意義ないじゃん、って話です。

でも、明治時代〜戦後にかけて、歌舞伎役者が伝統文化継承者として尊敬されるべき立場として見なされるようになった時点で、そういうわけにもいかなくなってきます。「地に足つけた分別ある大人であり良き家庭人であり正しい社会人」であることが、求められる。人間国宝重要無形文化財保持者)になって、日本芸術院会員になって、最終的には文化勲章を受章する、という栄誉の道を歩むためにも。

異論があるのは充分承知で書きますが、私、そうなった時点で、役者という存在が放つ正邪を超えた何とも言えない色気と魅力って、かなり減少してしまうと思うんです。だって、こっちは、教科書的なお手本には単に飽き飽きしてるんですもの。映画やお芝居、小説や漫画、何でもいいのですが、人がそれらの中に何を見出したいと願っているかって、現在の自分とは違う「存在し得たかもしれないもう一人の自分」を見出したいと願っているのではないですか。少なくとも私はそうですが。たとえそれがどんなに非道な人間だったとしても、私は『ファスター・プッシーキャット!キル!キル!』のトゥラ・サターナ(空手と柔道の達人でドSの巨乳悪女)も、『ワイルド・アット・ハート』のダイアン・ラッド(娘への愛が高じて顔中に口紅を塗りまくる狂った母親)も、『仁義なき戦い』の菅原文太(馬鹿なボスに振り回されるヤクザ)も、「もしかしてあり得たかもしれないもう一人の自分」としか思えませんでしたが。

もちろん、役柄と役者は別だろう、とも思います。役者だって、普通の人々と同じ人生を歩む権利がある、とも思います。もちろん、そうです。でも実際は、「そう単純なものではない」とも思うんですよね。役柄からにじみ出てくるその役者自身のエネルギーって、絶対ある。その役者の葛藤とか矛盾のもつエネルギーがその役柄を通して放たれて、それが私たちの心の奥底に潜んでいる何かに響いて、魂を揺さぶる。そんな巫女のような行為を行う役者は、やはり普通じゃない、極言すれば異常な存在です。ただ役が与えられて上手に演技ができて、容姿が美しければいいんだったら、誰だっていいじゃないですか? 賢くて美しい人なんて、世の中に掃いて捨てるほどいるんですから。

だからこそ、エビなんです。常に不安定で、常にアンバランスで、常に揺れていて、常にフラフラしていて、良き正しき芸人を目指すことだけでは決して満足できない、そんな葛藤と矛盾を抱えた役者。そして、ここが重要なんですけど、私がさらに「歌舞伎界が面白くなりそう!」と思ってしまったのは、エビ自身がそんな矛盾した状態にいる自分に葛藤しつつも、そんなアンバランスな状態にいる自分に興奮して面白がってワクワクしちゃってる、ということがありありと分かったから。決して、「苦悩しているオレ→これの帰着するところは改心→そして栄誉の道へ」という近代的ビルドゥングスロマンな感じではない(笑)。ホント、ふてぶてしくって嬉しいったら! そんな役者がいてこそ、歌舞伎も現代の芸能としてまた新しく生まれ変わっていけるというものじゃないでしょうか。

もちろん、そんなことが可能になるのも、それまで歌舞伎という芸能を社会に認めさせ、地位向上に努め、代々の芸を守り抜き継承してきた、多くの役者たちの汗と涙のにじむ努力の賜物であることはもちろんで。ただ、新しい時代には、それに応じた新しい精神と肉体が必要になっていく。今すぐどうこうということじゃないけれど、たとえば今現在、中村勘三郎が異常なほどのエネルギーで実行しているようなことを、十数年後、市川海老蔵がやってくれるのではないかと。そういう意味での長いスパンでの未来に期待したいなと。そんな希望の光を、海老蔵のエレガントかつふてぶてしい表情の上に見た気がいたしました。

って、人は自分が見出したいものを、勝手に他人の上に見出すものなんですけどね。ま、人が見出したいものを見出させてくれる、それもまた役者の力なのでした。ありがたいなー!




歌舞伎座、さ来年の4月で取り壊し決定。

 現在の歌舞伎座は、大正13年(1925年)、岡田信一郎が設計。
 戦災を受けたものの、戦後にほぼ同デザインで復元。
 ちなみに岡田信一郎の妻は、赤坂の人気芸者・萬龍。
 (って、これについて前に書きました→こちら。)
 (そういえば、萬龍についても前に書きました→こちら。写真は下。)


 新・歌舞伎座は、複合オフィスビルとなる予定だそうです……。
 今のデザインのまま再建するのは難しいのかな、やっぱり。
 でも、ミラノのスカラ座、パリのオペラ座、ウィーンのシュターツオーパーのような、
 歴史と伝統を体現する劇場が無くなってしまって、いいのだろうか? 東京は。
 ま、決まってしまったものは仕方ないですが。

 新・歌舞伎座は、平成25年(2012年)に落成予定。
 それまでは、新橋演舞場、国立劇場、三越劇場、浅草公会堂などで
 歌舞伎公演を続けるそうです。

 というわけで、来年から、「歌舞伎座さよなら公演」ということで、
 ありえないほど超ゴージャスメンバー&ゴージャス演目が目白押し!
 来年1月の演目もスゴイです。必見! →こちら
 ちなみに、歌舞伎座チケットは、チケットweb松竹で購入するのがオススメですよ。


◆「成田屋 市川団十郎・市川海老蔵」オフィシャルページ


◆海老蔵情報
  『おしゃれイズム』(日本テレ)に海老蔵がゲスト出演予定。
  放送日時は、12月7日、22:00〜23:00だそうです。

 
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