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【日舞】 「小唄in神楽坂」で踊りました記 2  〜本番編。

2008.11.04 Tuesday

先日(こちら)に引き続き、「小唄in神楽坂」のレポートを。本番編です。


そうそう、忘れてはいけないのが、当日の衣装です。私がもっている地味なキモノの中では唯一華やかな、加賀友禅の中振袖にしました。祖母が若い時に着ていた古いものなのですが、昭和初期独特のロマンティックな色合いがとても気に入っています。大学の卒業式、発表会、法事、結婚式、パーティと、もう何度も着ているお気に入り。なんですけど。今年生まれて初めて、「振袖、着てもいいのか?! 私?」と自分にツッコミを入れました。ま、いいでしょう、舞台ですからー。

帯は、これも祖母が若い時に締めていた丸帯を、袋帯に仕立て直したものです。普段は、普通のお太鼓か角出しに締めることが多いので、「え〜と、二重太鼓ってどうやるんだっけ?」と、石田節子さんの本で確認しつつ(笑)、二重太鼓に締めました。

そしてその後、浅草へ。何故、浅草へ行ったかと言いますと、日本舞踊のお弟子仲間のお姐さんに教わった、「夜会巻き」を上手に結ってくれる美容院に行くため! 前髪と後頭部を大きくふくらませる本格的な夜会巻きって、結い慣れてないと難しいんですよね。普通の美容院では、うまく結ってもらえないことが多いんです。

以前、近所の美容室に「夜会巻き、結えますか?」と何度も念を押したところ「できます」っていうからお願いしたら、相当ダサいアップスタイルにされて驚愕したことがありました。夜会巻きは「面」とをにかく美しく作って、毛先は中に入れ込むもの。なのに、パサパサと毛先を散らし始めるじゃないですか! しかも挙句の果てにその美容師、「毛量が多すぎて結いにくい」とか、私の毛の多さをグチり出す始末! 緋牡丹お竜並みに簪をギラリと構えて「もう一度言うてみたらどぎゃんな!」(何弁?)とか言ってやろうかと思いましたが、友人の結婚式の時間ギリギリだったんでグッと飲み込み、細かな指示を出して、何とか“夜会巻きもどき”にしてもらいましたが……。

そんな失敗体験をふまえ、今回はそれ専門の「ミクニ美容室」で夜会巻きに結ってもらって、大満足! しかもこの美容室では、「毛量があるからすっごく結いやすいわ〜」って言われましたよ。ほらー。そして常連のおばさま方に、「お若いのに自分で着物を着るなんて偉いわねぇ〜」とおだてられ、どっちかと言うと「お若い」というタームにいい気分になりながら店を出たのでした。

↓これが大満足ヴァージョンの夜会巻きです。





会場は、神楽坂の毘沙門天に併設された書院。「小唄in神楽坂」自体は今年でもう5年目ということで、宮澤やすみさんと、扇流家元扇よし和先生の息はピッタリ。吉原の唄、色気のある唄、神仏をうたった唄、と続いて、ついに出番となりました。扇よし和先生の唄とやすみさんの三味線に合わせて、踊りスタート。踊った小唄は、以下の3曲。

『移り香』
移り香や たたむ寝巻きの衿もとへ   
ひとすじからむ こぼれ髪
帰してやるんじゃなかったに   
ふくむ未練の 夜のさかずき

 『浮世木枯らし』
風が吹いたね 浮世の風が  
肩よせ合って しのいだね
離れられない 二人になって  
静かな今も いっしょだね
ずっとずっと いっしょだね  
浮世木枯らし 味なもの

『江戸祭り』
本祭り 笛や太鼓に誘われて   
白足袋姿 ねじり鉢巻
ワッショイワッショイ 祭りだワッショイ
今年ゃ神酒所で鏡を抜いて そろい浴衣もにぎやかに 
色と酒との両袖を つなぐ廓の染模様 
隅田川さえ 棹さしゃとどく なぜに届かぬ 胸のうち
今宵逢うとの徒(あだ)ごとに 顔も紅葉の祝い酒
頭が音頭で オンヤリョー 
色若衆や手古舞が よい声かけて町々に
江戸はえぬきの 派手姿


こんな感じで、小唄の歌詞って、色っぽいものが多いんですよね。「たたむ寝巻きの衿もとへ ひとすじからむ こぼれ髪」とか「隅田川さえ 棹さしゃとどく なぜに届かぬ 胸のうち」とか、切ない恋心をうたった曲が多い。実生活が貧弱なのでそんな思いを踊りで体験できるのはなかなか楽しいです(笑)。

そもそも小唄は、お座敷で芸者さんと一緒にサラリと唄って楽しむものだったそうですから、そうした色恋をうたった唄が多いのも当然でしょう。って、それを言うなら、江戸時代の代表的な音楽って、ほとんど色恋をうたっていますから〜。「唄もの」の代表である長唄とか、「語りもの」のひとつ浄瑠璃系統の義太夫常盤津、富本、清元なども、お芝居や色街などで発展した音楽ですから、やっぱりうたっている内容は、基本的にほとんど、色恋。

ちょっと話はズレますけど、こういう近世の文化に接すれば接するほど気付かされるのが、日本において(少なくとも江戸時代において)色と恋は同レベルのもので(つまり肉体だけとか精神だけとかそういう区別にたいして意味はなく)、それは遊びであり贅沢であり文化であり……っていう“余剰のもの”だったのだなぁ、ということです。基本的に、色恋は遊び。そう言ってしまうと、いろんなことがスッキリするような気がします。

もちろん、遊びと言っても、さまざまなレベルがあるし、さまざまな質があります。ここで言う遊びとは、別にチャランポランとか軽くテキトーにとかっていう意味じゃなくて、言ってみれば、趣味、遊芸、芸術みたいなものと同じようなもので。で、それはその人の資質によっては、遊びが実質に取って代わってしまうこともあるし、行き過ぎれば、死に至る遊びになってしまうこともある。たとえば江戸時代に流行した情死・心中というものだって、色恋という遊びに遊びの範疇を超えたものを担わせてしまった結果でしょうし、それは、「コレ」と一途に思い込んだ遊びや芸に人生全てを捧げてしまって、その結果身を滅ぼす、みたいなことと同じようなことだったのではないか、と思うのです。

そう考えると、遊びって、怖いですね(笑)。でも怖いからこそ、価値があるし魅力があるとも言える。だって、どうせ死ぬ運命にある身だもの。だから、死がそれほど遠くはない世界に住んでいた人たちのほうが、現代のように人生80年と高をくくっている人たちよりもずっと遊びの意味や魅力を知っていた、のかもしれません。



踊り終わって、楽屋で汗を乾かすのと化粧直しに必死になっている私の耳に、舞台で引き続き演奏しているやすみさんと扇よし和先生による小唄が心地よく聞こえてきました。「なまじあなたに会ってから 涙の味を知りました こんな思いをしみじみと 話す相手は影法師」っていう『裏座敷』や、「初手は岡惚れちょっといいお方 中ほどはただもう足駄で首っ丈 今じゃ 好きで憎くて 憎くて好きで なくちゃならない好きな人」っていう『好きな人』など、艶っぽい歌詞に耳を傾けながら。


着物姿がいつも色っぽくて粋な扇流家元扇よし和先生(左)と、まるで夏目漱石の小説に出てくる人のごとく(笑)袴が非常に似合う宮澤やすみさん(右)。


そんなわけで、無事「小唄in神楽坂」が終わりました。いらっしゃってくださった皆様、本当にありがとうございました! お忙しいなかわざわざ来てくださるって、本当にありがたい嬉しいことだと思ってます。本当に、大人になると、時間って貴重ですから……。また来年もやろうとやすみさんが仰ってくださったので、もし開催することになりましたら、またいらっしゃっていただけると嬉しいです。



◆「小唄in神楽坂 顛末記
  イベント主催者である宮澤やすみさんのHPに、
  顛末記を掲載させていただきました。


◆キモノイベントのお知らせ。
 11月23日(日)に開催される「床の間」(@nakano F)というキモノイベントにて
 トークショウに参加することになりました! 詳細はこちらです。
 お時間ありましたら、ぜひいらしてくださいね。







 
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