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【日舞】 「小唄in神楽坂」で踊りました記 1  〜振り付け編。

2008.10.29 Wednesday

先日の10月25日、「小唄in神楽坂」に踊りで参加させていただきました! ので、そのレポートを。

今年で5年目となる「小唄in神楽坂」。主催者は、和菓子や仏像などの日本文化を専門とする文筆家の宮澤やすみさん(著書はこちら)。彼は、小唄扇流の名取となり、現在では「扇和やす」というお名前で小唄界でも活躍されています。もともと同じ日本文化系のライターとして知り合った……というか、実際は、私が伊勢丹で着物を売っていた(そんな仕事をしていたこともありました〜)時代に、知人を介してお知りあいになったのですが。

その後、私はベルリンに行ったり、六本木ヒルズで働いたり、渋谷のホテル街に住んでみたり、千葉でアメ車乗ってみたりみたいなわけのわからない日々を経て、自称ライター(誰でも最初は「自称」です…)になったのですが。仕事もたいしてなくブラブラしてた私に、宮澤さんが「小唄イベントで、踊らない?」と、かる〜く声をかけてくださったのでした。それが約3年前。

その小唄イベントには、毎回、小唄「扇流」の二代目家元である扇よし和先生が出演されているのですが、その素晴らしい歌声と三味線演奏は、いつ聞いても惚れ惚れ。。私も小唄、習いたいー! って、そう言えば、私も昔、三味線を弾いていたことがあったんでした! 私が通っていた大学に筝曲部(そうきょくぶ)という、琴と三味線と尺八の三曲合奏のクラブがありまして、そこで三味線を弾いていました。三味線の弦を押さえたり擦ったりすると、左の指の爪が摩擦で削れてしまうんですが、これを「糸道」と呼びます。それがとにかく嬉しくて、ただもう爪にできた「糸道」が誇らしくて、何度も何度も眺めていたなぁ。あの頃は二十歳そこそこだったというのに、マニキュアだとか爪のお手入れだとか、そんなことはどーでもよかった。でも、今だって本当は、マニキュアより「糸道」つくりたい……。


そんなわけで。今年の夏頃に、「今年はこれで踊ってね」と宮澤さんから、小唄の音源が送られてきました。今年は、『移り香』『浮世木枯らし』『江戸祭り』の3曲。さっそく音源をiPodにコピーし、足袋をはいて、浴衣を着て、イヤホンを耳に入れて、iPod本体を懐に挟みこんで、鏡の前に立ち、振り付け作業スタート。曲の感じとか間合いとか歌詞を考えながら、今まで私がお稽古場で師匠から教わってきた振りを、組み合わせたり、アレンジしたりして、振り付けていきました。

今回、自分で振り付けをしてみて、ちょっとした驚きがありました。それは、曲に合わせてを何となく体動かしてみると、自動的に踊りが体から沸いてくるような不思議な体験をしたこと。あるひとつの振りをすることで、これまで師匠から教わった振りのひとつひとつ、もらった言葉のひとつひとつが、ザザーッと自分の体の上に蘇ってきて、記憶がぐわーっと体の上に染み出てきて、体が勝手に動いてしまう。そんな体験をして、自分でもちょっと驚いたのでした。あれです、プルーストの『失われた時を求めて』の、紅茶に浸したプチット・マドレーヌの味覚。それと同じようなものなのかもしれません。時空を超えて過去の記憶を立ち上げる装置。それは自分でも思いもよらないところにジッとひそんでいて、ある日突然、目の前に現れたりする。満開の桜、冬の晴れた日の乾いた空気、バッハの無伴奏チェロ組曲、金木犀の香り。そんな装置をまた一つ発見できて、小さな喜びを感じたのでした。


さらに今回は、大好きな玉様(坂東玉三郎さんです、もちろん)の踊りの振りを盗むことにもチャレンジしました! ……って、無謀すぎ(笑)。DVD「坂東玉三郎舞踊集」シリーズをスローモーションで見つつ、振りを研究しました。が。玉様はそれほど難しい〜〜っていう振りをしているわけでは決してない、という事実に遭遇。私も頑張ればマネできるような基本的な振りをしている……にも関わらず、玉様が踊ると、もうものすごく複雑で摩訶不思議な動きをしているように見える。なんで? 何なのこれは?! 

要するに、玉様がひとつの振りを踊る時の、腕の動き、扇子の動き、指先の動き、腰の方向、足さばき、肩の引き方、顔の傾け方、目線、すべてが緻密な分析と計算の上に成り立っていて、それをすべて同時に実行することによって、「別世界」が立ち上がってくる。そんな構造になっているみたいなのです。たぶん……。だから、あるひとつの振りがあったとして、それを私が踊っても「普通の人間がその振りを実行している」というだけですが、玉様が踊ると「普通の人間と違う動きのシステムをもった何かが踊っている」と言うしかないようなことになる。玉様に限らず、プロの方や名人と言われるような方は、そういう独特の「動きシステム」が出来上がっているんでしょう。

それは、別に踊りに限らず、何でも同じで。長い長い時間をかけて訓練したり考えたり試行錯誤したりしているうちに、脳内にその人だけの独特な神経回路が出来上がっていく。そのことによって、その人だけの独特な「別世界」を立ち上げることができるようになる。というか、正確に言えば、立ち上がってしまう、んだと思うのです。もう、否応なく。有無を言わせず。それが、アーティストとか芸術家の「個性」と言われるものなのではないでしょうか。

そしてそれは、もしかして、ある意味では「歪み」と紙一重なのかもしれません。もちろん、歪みと言っても、それは良い悪い、正しい正しくない、ということとは関係なくて。たとえば、ジョン・ウォーターズの映画に対して「悪趣味すぎる」という歪みを批判したって、全く意味がないですよね。村上春樹の小説に対して「登場する女が不思議ちゃんすぎる」と非難したり、岡本太郎の彫刻に対して「馬鹿っぽすぎる」と批判することに、全く意味がないように。そうした、良い悪い、正しい正しくない、といった一般的な規範を超えていくほどのもの、たとえば人の心を否応なしに動かしてしまうような、迫力や情熱や執着心や切実さのようなものがあるかどうか、それがその紙一重の境を区切るひとつの基準になるのかもしれない。そんなことを考えたりしました。



なんて、話はとびましたが。そんなわけで、自宅で振り付け&練習の日々でした。日本舞踊って何となくラクチンに踊っているように見えがちですけど、ずっと空気椅子状態(つまり中腰状態)で踊らなくてはならないので、かなり筋肉を使うんです(って、空気椅子なんて言葉、今の若者は知っているのだろうか?)。だから本番前は、連日、太ももとふくらはぎが筋肉痛に……。でも、筋肉痛って、いいですよね。筋肉痛だっていうのにムリして地下鉄の階段を上ったりするのが、またたまりません。しかも、そんな私の筋肉痛に周囲が全く気付いてないのも、何だか嬉しい(倒錯気味)。大好きです、筋肉痛!



……って、筋肉痛への愛を告白してどうする? 私はどこに行こうとしているのでしょうか。そんな疑問を静かに抱いたまま、当日の様子について次回に続きます〜。



 
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