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【歌舞伎】 歌舞伎ブログ更新しました 〜3回連続シリーズ(?)『菅原伝授手習鑑』「車引」

2010.02.08 Monday

歌舞伎レビューブログ「妄想と愛嬌のあいだで数時間」を更新しました。

久しぶりに歌舞伎ブログを更新したせいか、妙に気合入りすぎて(?)、1月歌舞伎座の演目『菅原伝授手習鑑』「車引」についての記事が、3回連続になってしまいました……。。

その1では『菅原伝授手習鑑』のあらすじの面白さついて、その2では上演形式の面白さについて、その3ではやっと『菅原伝授手習鑑』の「車引」の場の面白さについて、書いています。その3を、一部分だけご紹介。

■『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』「車引(くるまびき)」 その3

何が楽しいって、この、敵対しあった者同士のく悪態、悪口、罵詈雑言。これぞ、歌舞伎の美味部分! 「火事と喧嘩は江戸の華」とか言われますけど、ホントに胸がスーッとするような……っていうか、単にセンス良すぎてプッと笑っちゃうような悪態。そういうある意味で「どうでもいいようなこと」を、膨大なお金と時間を労力と知恵を重ねて芸術(芸)の域にまで高めた(しかも超真面目に)ところに、歌舞伎のありがたさや楽しさがある! 
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【歌舞伎】 歌舞伎ブログ更新しました 〜『菅原伝授手習鑑』「車引」

2010.02.03 Wednesday




歌舞伎レビューブログ「妄想と愛嬌のあいだで数時間」を更新しました。

今回の更新は、歌舞伎座1月公演夜の部の演目のひとつ、『菅原伝授手習鑑』のレビュー。ちょこっとだけ紹介。
■『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』  「車引(くるまびき)」

今年1月の演目の中で一番楽しみにしてたのが、コレ! そして、今月の演目の中で一番面白かったのが、コレ! 

とか言いつつ、自分という人間の変わり身の早さにあ然とするのですが、実は私、この『菅原伝授手習鑑』という演目がずっと嫌いでした。。

だって、「“勉強の神様”“受験の神様”で知られる天神様(てんじんさま)こと菅原道真(すがわらのみちざね)が、上司にイジメられて左遷させられるという平安時代に起こった事件を軸に、彼をめぐる人々の親子や忠義の情愛を描いた物語」って、そんなふうに説明されて、「キャ〜〜面白そう!!」って、思えますか? 私は思えませんでした……
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【歌舞伎】 歌舞伎ブログ更新しました 〜『海神別荘(かいじんべっそう)』

2009.07.18 Saturday




歌舞伎レビューブログ「妄想と愛嬌のあいだで数時間」を更新しました。

今回の更新は、海老蔵と玉三郎が主演している、泉鏡花原作の『海神別荘(かいじんべっそう)』のレビュー。ちょこっとだけ紹介。
『海神別荘(かいじんべっそう)』

私の神であり、MG(マイ・ゴット)こと泉鏡花のとんでもない戯曲の舞台化、それが『海神別荘(かいじんべっそう)』。原作だけでも十分「?!」なのですが、それが実際に役者に演じられるとさらに「?!?!?!(笑)」なカンジに。
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ちなみに、コダカナナホさんの歌舞伎絵ブログ「筆うつつ、歌舞伎ピュアネスカラー!」も、続々更新されてます! 特に、先日アップされた『夏祭浪花鑑』の中村勘三郎ふんする「団七九郎兵衛」イラストの筆致が、素晴らしいです! ぜひご覧くださいね。

 

【歌舞伎】 歌舞伎ブログ更新しました 〜『暫(しばらく)』

2009.05.27 Wednesday





歌舞伎レビューブログ「妄想と愛嬌のあいだで数時間」を更新しました。

今回の更新は、海老蔵主演、歌舞伎十八番のうちのひとつ、『暫(しばらく)』のレビュー。ちょこっとだけ紹介。
■歌舞伎十八番の内 『暫(しばらく)』 大薩摩連中

いつの世でも人気があるのは、悪いヤツらをやっつけてくれる正義の味方、スーパーヒーロー。そう、『暫(しばらく)』の主人公、海老蔵ふんする鎌倉権五郎景政も、まさにそんなスーパーヒーローなのです!! ……なんていう説明は、なんだか、もう、聞き飽きました……。そんなありふれた図式についていくら説明されても、「ふーん。で?」と思ってしまうのは、私だけでしょうか?
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【歌舞伎】 歌舞伎ブログ更新しました 〜『神田ばやし』

2009.05.26 Tuesday





歌舞伎レビューブログ「妄想と愛嬌のあいだで数時間」を更新しました。

今回の更新は、海老蔵主演の『神田ばやし』のレビュー。ちょこっとだけ紹介。
『神田ばやし』 

しょっぱなから告白してしまいますが。実は、私、この「比較的新しい時代につくられた歌舞伎のお芝居」というのが、ちょっぴり苦手なんです……。だって、江戸時代につくられた作品に比べると、「驚き」や「謎」や「カオス」が足りないんですもの。私は歌舞伎に、「驚き」や「謎」や「カオス」を求めているので、現代人的な論理で描かれているものは、理に落ちすぎてしまって、もの足りなかったりして。「これだったら『おしん』でも見てたほうが、ある意味、まだ驚きがあるよなー」なんて思ってしまったりすることも多く……(ホントすみません)。
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【歌舞伎】 歌舞伎ブログ更新しました 〜清元舞踊『夕立』

2009.05.22 Friday




歌舞伎レビューブログ「妄想と愛嬌のあいだで数時間」を更新しました。

今回の更新は、5月歌舞伎座 夜の部 清元の舞踊『夕立』のレビュー。ちょこっとだけ紹介。
■『小猿七之助 御守殿お滝  夕立(ゆうだち)』 

タイトルからイキナリ、「小猿七之助 御守殿お滝」と、人の名前らしきものが挙がってますが。たぶん、タイトルを見た人の97%はこう思ったに違いありません。

「で、一体誰よ?」
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【歌舞伎】 歌舞伎ブログ更新しました。 〜『毛剃』

2009.05.19 Tuesday




先日もお知らせした、イラストレーターのコダカナナホさんと新しく立ち上げた歌舞伎サイト、「KABUKI ! TOO MUCH ! LOVE ! LOVE !」。


私の担当である歌舞伎レビューブログ「妄想と愛嬌のあいだで数時間」を更新しました。しばらくは、更新したらコチラでお知らせしておこうかな、と思いまして……。

今回の更新は、5月歌舞伎座 夜の部 『毛剃』のレビュー。ちょこっとだけ紹介。
■『恋湊博多諷(こいみなとはかたのひとふし)』 
  毛剃(けぞり)

何しろ、タイトルが「毛ぞり」って(笑)。もし現代にこんなタイトルのお芝居があったら、私、絶対に見に行かないでしょうね。って、いや、ある意味「どんなのそれ?」的な興味で、あえて行くかも。っていうか、「え? あえて毛ぞりなの? 脱毛じゃなくて?」的なストイックさに惹かれて、率先して見に行くような気もしてきました。一緒に行ったアーティストの真珠子ちゃんもブログで、「どこの毛を剃ってたか、最後までわからなかったです」って書いてました(笑)(→こちら)。
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そして、ナナホさんの歌舞伎絵ブログ「筆うつつ、歌舞伎ピュアネスカラー!」も更新されました。素敵にポップでちょっぴり80年代な玉様イラストがアップされているので、ぜひぜひこちらをご覧くださいね!

 

【歌舞伎】 超私的な海老蔵論。 〜「オーラの泉」を見て思ったこと。

2008.11.26 Wednesday

先日の「オーラの泉」(テレ朝)、見ましたか? ゲストは、歌舞伎俳優の市川海老蔵。いやー、カッコよかったですよねー。何がカッコイイって、もちろん外見自体もカッコイイんですけど、あの負けん気の強さや我の強さ、それを隠そうともしない自信とふてぶてしさが。

江原氏に「(前世では)スコットランドにいて剣術をやっていた」と言われたエビ、「へーー!」といかにも調子を合わせているだけの(ように聞こえる)返答をし、「(前世では)日本にいたこともあって、山伏だった。だから火を見ていると落ち着くはず……」と言われると、「あー落ち着く落ち着く」と二度返事(笑)。そんなエビが、「どうしてもフラフラしてしまって(おそらく仕事や恋愛や生活の面において)一つのところに落ち着くことができないんですよね、どうしても耐えられなくなってしまうんですよ」と話すと、ついには美輪さんに「たった一人のフシマツで、脇役の人や劇場に関わる人、みんなが困るんですよ。だから覚悟をお決めなさい!」と諭される始末。最後に送られたスピリチュアル・アドバイスは、「地に足をつけて、一人前の心積もりを」でした……。

トーク終了後、国分太一がエビに向かって、「いやーでもオレ、あの2人にああいうふうに言われるの、海老蔵さんわかってたんじゃないかって思ったんですよ、スゴいレベルだなーって思ったんですよ!!」と、ビミョーなもちあげ方をすると、エビ、すかさず「でも(僕が)わかってるってことをわかってる方もスゴいんじゃないですか?」とサラっと返答。エビったら、なんてヤな子なんでしょう(笑)! 

今の時代、男性のメインストリームは、「優しい」か「おバカ」。とりあえず、他人の(特に女性の)言いなりになってくれそう(あくまでも幻想ですけど)なタイプが、万人に歓迎される時代。国民皆平等というどう考えても幻想でしかない幻想がやっぱり幻想だったとコドモでさえ気付き始めている現代だからこそ、よけいに自分以外の他人が突出してくるのは面白くないわけで、誰かが自分の欲望や向上心をあからさまにしようとすれば「生意気だ」「偉そうに」「何様?」と貶められるのが必定。だからこその、おバカブームなわけで。しかし、皆なそれほどまでに自分より「下」の人を求めてたの? それほどまでに自分に自信がないの? と思わなくもないです。だって、自分に燃えるような向上心があったら、ああいうのを見ると「自分の向上心をサカナでされるようないや〜な気分」になるものだと思うんですけどね(ま、カンケーないと言やカンケーないですが)。

そんな現代には、エビの如きキャラクターはあまり歓迎されないかもしれません。女の子に「性格悪そうだよねー」とか言われそうなタイプ(笑)。女子って勝手なもので、性格の良し悪しは、優しいか優しくないかで判断し、優しいか優しくないかは、自分の言いなりになるかならないか、で判断する。そんな女子に少しでも気に入られたいと思うのならば、男子は他人本位にならざるを得なくなり、他人本位ということは実際は他力本願につながっていき、結果的に無気力なおじさま&やりたい放題のおばさま大量発生、ということになるんでしょうね……と思ったり。だから、「優しい」&「おバカ」キャラクターを必要以上に祭り上げることは、将来的に日本を良くもしないし美しくもしないと思うのですが、でもそれはもしかして私の考えが飛躍しすぎなのかもしれません。

エビに話を戻しますが、私個人としては、この「オーラの泉」を見て、こういう役者が歌舞伎界に存在するということで、歌舞伎界の未来がどれほど明るくなることか! という思いを強く致しました。それは、エビが格別に美形でカッコイイから、ということではありません。それももちろん重要なことですけど、でも美形役者っていうんだったらほかにいないこともない。では、エビがしっかりと芸を継承している役者だからか、と言ったら、それも非常に重要なことですけど、でもそういう訓練を積んだ役者は歌舞伎界にはたくさんいます。

そうじゃないんです。私がエビにおいて最も素晴らしいと思ったのは、それは、常に未完成で、常に葛藤している人間だ、というところなんです。
「市川団十郎家を捨ててもいいという思いがあるんです、子供のときから。そういう思いを抑えきれない自分がいる」

「芝居をしている時は芝居のことばかりなんですけど、ひとたび休みが入ると海外に行こうかな、グリーンカード当たらないかな、くらいの勢いで考えたりします。さっきも考えてた(笑)」

「ギリギリまでフラフラしていたいんです。ええ、不動心が欠けてますね、明らかに欠けてます。耐えられなくなる」

なんてことを言うエビ。明らかに、自分に満足していないし、現状に満足していないし、たぶん歌舞伎界にも、日本にも、世の中にも、満足していない。そんな状態にある人間は、最終的に、「どうしたら自分は満足できるんだろう?」と考えるはめになる。そうすると、結局、とりあえずやってみる。試す。必要とあらば変更する。壊す。そして新たに作る。また疑問を感じるやってみる試す変更する……この試行錯誤プロセスを繰り返すしか道はないのです。

で、思うんですけど、今の時代に必要なことって、これじゃないですか? 優しいとかおバカとか、そんなぬるーい風呂に半身浴とか言って入ってても、そりゃあ長時間入っていられるかもしれませんが、全然暖まらないし血行良くならないし毛穴から老廃物も出ません。半身浴で痩せるとか美肌になるとかって、何の科学的根拠もないそうですし……。

だいたい、歌舞伎という、こんなことを書くとどこからか叱責されるかもしれませんが、ある意味で過去の遺産(でも実際、ユネスコから「世界遺産」に認定されましたしね)とも言えるそんな世界にいて、現代に生きる自分の存在意義を自問自答しないほうが不思議です。現代に生きる人間として、過去の遺産を守るためだけに生きることには空しさを覚えるのは当たり前だし、その家に生まれたからそうしなくてはいけないんだとすんなり思い込めるほど人間は単純ではない。

だいたい、そんな家に生まれてなかったとしても、人間はそう簡単に自分や自分の置かれた環境に満足できるものではありません。でも、だからといって、自分の可能性や多様性を育てるというのもそう簡単にできるものではない。じゃあどうするのかって言うと、普通はそうした欲求を小さく丸めて心の引き出しに仕舞い込み、その欲求がうっかり増殖して溢れ出してしまわないような方向に結構多大なエネルギーを費やしながら、ほどほどに諦める。それが一番ラクだし体裁もいいし安全。でも仕方がないですよね、それは。人一人に与えられた資産(経済的にも能力的にも生命力的にも)は限られているし、人が一人が生きていくのはそれだけで大変なことですから、そういうやりくりは必ず必要になる。

でも、世の中には、それができない人もいる。自分や自分の置かれた環境に簡単には満足できず、自分の可能性や多様性を育てることに全てを賭けてもいいと思っちゃうような人。たとえば芸術家や芸能人には、そういう人がたくさんいるでしょう。そういう原始的なエネルギーがある種の形として昇華したとき、それは何とも言えない魅力となって多くの人を惹きつけるわけで。ある意味で、自分ができないことを代行してくれる他人自分の欲望を体現してくれる他人自分がなれたかもしれない他人。そういう「代行者」は、決して、地に足つけた分別ある大人であり良き家庭人であり正しい社会人、である必要はない。だって、「地に足つけた分別ある大人であり良き家庭人であり正しい社会人」は、こっち側がとっくにやってるんですから(一応は笑)。そっちはそっちでやってくれないと存在意義ないじゃん、って話です。

でも、明治時代〜戦後にかけて、歌舞伎役者が伝統文化継承者として尊敬されるべき立場として見なされるようになった時点で、そういうわけにもいかなくなってきます。「地に足つけた分別ある大人であり良き家庭人であり正しい社会人」であることが、求められる。人間国宝重要無形文化財保持者)になって、日本芸術院会員になって、最終的には文化勲章を受章する、という栄誉の道を歩むためにも。

異論があるのは充分承知で書きますが、私、そうなった時点で、役者という存在が放つ正邪を超えた何とも言えない色気と魅力って、かなり減少してしまうと思うんです。だって、こっちは、教科書的なお手本には単に飽き飽きしてるんですもの。映画やお芝居、小説や漫画、何でもいいのですが、人がそれらの中に何を見出したいと願っているかって、現在の自分とは違う「存在し得たかもしれないもう一人の自分」を見出したいと願っているのではないですか。少なくとも私はそうですが。たとえそれがどんなに非道な人間だったとしても、私は『ファスター・プッシーキャット!キル!キル!』のトゥラ・サターナ(空手と柔道の達人でドSの巨乳悪女)も、『ワイルド・アット・ハート』のダイアン・ラッド(娘への愛が高じて顔中に口紅を塗りまくる狂った母親)も、『仁義なき戦い』の菅原文太(馬鹿なボスに振り回されるヤクザ)も、「もしかしてあり得たかもしれないもう一人の自分」としか思えませんでしたが。

もちろん、役柄と役者は別だろう、とも思います。役者だって、普通の人々と同じ人生を歩む権利がある、とも思います。もちろん、そうです。でも実際は、「そう単純なものではない」とも思うんですよね。役柄からにじみ出てくるその役者自身のエネルギーって、絶対ある。その役者の葛藤とか矛盾のもつエネルギーがその役柄を通して放たれて、それが私たちの心の奥底に潜んでいる何かに響いて、魂を揺さぶる。そんな巫女のような行為を行う役者は、やはり普通じゃない、極言すれば異常な存在です。ただ役が与えられて上手に演技ができて、容姿が美しければいいんだったら、誰だっていいじゃないですか? 賢くて美しい人なんて、世の中に掃いて捨てるほどいるんですから。

だからこそ、エビなんです。常に不安定で、常にアンバランスで、常に揺れていて、常にフラフラしていて、良き正しき芸人を目指すことだけでは決して満足できない、そんな葛藤と矛盾を抱えた役者。そして、ここが重要なんですけど、私がさらに「歌舞伎界が面白くなりそう!」と思ってしまったのは、エビ自身がそんな矛盾した状態にいる自分に葛藤しつつも、そんなアンバランスな状態にいる自分に興奮して面白がってワクワクしちゃってる、ということがありありと分かったから。決して、「苦悩しているオレ→これの帰着するところは改心→そして栄誉の道へ」という近代的ビルドゥングスロマンな感じではない(笑)。ホント、ふてぶてしくって嬉しいったら! そんな役者がいてこそ、歌舞伎も現代の芸能としてまた新しく生まれ変わっていけるというものじゃないでしょうか。

もちろん、そんなことが可能になるのも、それまで歌舞伎という芸能を社会に認めさせ、地位向上に努め、代々の芸を守り抜き継承してきた、多くの役者たちの汗と涙のにじむ努力の賜物であることはもちろんで。ただ、新しい時代には、それに応じた新しい精神と肉体が必要になっていく。今すぐどうこうということじゃないけれど、たとえば今現在、中村勘三郎が異常なほどのエネルギーで実行しているようなことを、十数年後、市川海老蔵がやってくれるのではないかと。そういう意味での長いスパンでの未来に期待したいなと。そんな希望の光を、海老蔵のエレガントかつふてぶてしい表情の上に見た気がいたしました。

って、人は自分が見出したいものを、勝手に他人の上に見出すものなんですけどね。ま、人が見出したいものを見出させてくれる、それもまた役者の力なのでした。ありがたいなー!




歌舞伎座、さ来年の4月で取り壊し決定。

 現在の歌舞伎座は、大正13年(1925年)、岡田信一郎が設計。
 戦災を受けたものの、戦後にほぼ同デザインで復元。
 ちなみに岡田信一郎の妻は、赤坂の人気芸者・萬龍。
 (って、これについて前に書きました→こちら。)
 (そういえば、萬龍についても前に書きました→こちら。写真は下。)


 新・歌舞伎座は、複合オフィスビルとなる予定だそうです……。
 今のデザインのまま再建するのは難しいのかな、やっぱり。
 でも、ミラノのスカラ座、パリのオペラ座、ウィーンのシュターツオーパーのような、
 歴史と伝統を体現する劇場が無くなってしまって、いいのだろうか? 東京は。
 ま、決まってしまったものは仕方ないですが。

 新・歌舞伎座は、平成25年(2012年)に落成予定。
 それまでは、新橋演舞場、国立劇場、三越劇場、浅草公会堂などで
 歌舞伎公演を続けるそうです。

 というわけで、来年から、「歌舞伎座さよなら公演」ということで、
 ありえないほど超ゴージャスメンバー&ゴージャス演目が目白押し!
 来年1月の演目もスゴイです。必見! →こちら
 ちなみに、歌舞伎座チケットは、チケットweb松竹で購入するのがオススメですよ。


◆「成田屋 市川団十郎・市川海老蔵」オフィシャルページ


◆海老蔵情報
  『おしゃれイズム』(日本テレ)に海老蔵がゲスト出演予定。
  放送日時は、12月7日、22:00〜23:00だそうです。

 

【歌舞伎】 『藤娘』と涯てのない世界。  〜もしくは、事なかれ主義とムラ社会主義。

2008.10.21 Tuesday

最近の若者はけしからん的言論って、よく聞かれますよね。たとえば、代表的なところでは、「最近の若者は年寄りに席を譲らないからけしからん」「最近の若者は無気力で夢がなくてけしからん」みたいな。でもそれって、実は、年齢とか世代とかってほとんど関係ないんじゃないのかしら……と、なんとな〜く思っていた私。

というのは、人間におけるあるメンタリティっていうのは、実は親から子へ受け継がれていくことが単純に多いものだと思うし(遺伝という意味ではありません)、もちろん親ではなかったとしても、成長過程において目上の人(大人)からさまざまな言語的あるいは非言語的メッセージを受け取り、それを内面化させていく結果、あるメンタリティを持つに至る、ということが想像以上に多いものだと思うので。それが若い人であればあるほど、なおさらですよね。もちろん、TVやゲームや漫画などからの影響も大きいと思いますが、それを作っているのは間違いなくコドモではなく大人ですから、同じことです。

だから、もし若者がお年寄りに席をゆずらないんだとしたら、単に親や大人がお年寄りに席をゆずらないからなんじゃないの? もし若者が無気力で夢がないんだとしたら、単に親や大人が無気力で夢がないからなんじゃないの? 大人ができないことは、若者もできないだけ、っていう、もうウンザリするからあまり考えたくないってほど単純な話なのでは? と薄々思っておりました。そんなところ、やっぱりね…と思う出来事に遭遇しました。

先日、歌舞伎座に昼の部を見に行ったんです。この日はたまたま1等席、2階の西桟敷の近くの前から5列目でした。「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」の重の井の段でホロリとし、「奴道成寺」の踊りを堪能し、「魚屋宗五郎」でクスッと笑った……んですが。西桟敷席に座ってる初老の女性が、うるさい。20代とおぼしき若い女性と座っていて、その女性に話をするときの声が、ハンパなくデカい。かなり席が離れている私にもハッキリと聞こえるくらいの声で「あれ、あの子供とあれの関係がよくわからないって? イヤホンで言ってない?」とか、「あ〜、出てきたよ、あれが菊五郎ね。何代目だっけな」とか大声でしゃべる。かなり気になったのですが、私も席遠かったしそのままにしておりました。

今月の昼の部のトリは、今年80歳になり、傘寿(さんじゅ)を迎えた7代目中村芝翫(成駒屋)がつとめる『藤娘』。ご存知ない方のために念のために書いておきますと、『藤娘』の衣装はものすごく重いし、日本舞踊はずっと空気椅子状態で踊るようなもので非常に体力が必要です。それを80歳で踊るって、凄いことですよ! 

そんなわけでさーっと幕が開くと、あたり一面、藤の花。現れた芝翫は、美しい藤の衣装に塗り笠をかぶって登場。うわ〜っと、歓声が挙がりました。すると。またしゃべり出したんですよ! その西桟敷席の初老の女性が。しかも、「よーく見てごらん、あんな格好してるけどフツーのおジイちゃんだから」とか、しかも隣にいた20代女子が飽きちゃって帰ろうとしたみたいで「え? つまんない? あ〜私もどうしようかと思ってね〜」などという非常識なことを、場内に響き渡るほどの大声でしゃべり出すではないですか! 私はとにかく、舞台で一生懸命に若い娘になりきって踊っている芝翫に聞こえていませんように!! と祈るばかり。っていうか、「静かにしろ!」と言いに行こうか、でも席も遠いしどうやってあそこまで行ったらいいのか……とソワソワしてるうち、おそらく周囲の人々の顔が一斉にその初老の女性に向ったからでしょうか、東桟敷にいたスタッフが気づいてわざわざ西桟敷までやってきて注意をし、やっと事なきを得たのでした。

しかし。私がこの一件において、非常に違和感を感じたのは、この最悪な初老女性の言動ではありませんでした。こういう困った人っていうのは、一定の割合でどうしてもいるものなんですよね。劇場であれ、電車であれ、街であれ、会社であれ、学校であれ。変な人って、一定の割合で、いる。いつも自分が恵まれた素敵な環境にいられるなんて、思ってはいけません。そんなことは滅多にない。お姫様じゃあるまいし……って、お姫様だって恵まれた環境にいられないくらいなんですから、日本では(プリンセスMを見よ)。だからこそ重要なのは、そういう出来事に遭遇したときに、どういう対処をとることができるのか、ということだと思うのです。

で、この歌舞伎座で私が「なんで?」と思ったのは、その最悪な女性2人を、周囲にいた人々が誰一人、注意しなかったこと、なんです。本当に、誰も、誰一人、動かなかったんですよ。周りの人が。それが本当に本当に、不思議で。その周りにいた人っていうのは、もちろん全員、大人です。ほぼ女性で、男性も少しいましたが。みんなその初老の女性を不審気に眺めつつも、誰も何も言おうとしませんでした。私が近くにいたら、迷わず「すみませんが、静かにしていただけませんか?」と、怒らせないよう下手に出つつお願いすると思うんですけど……。

どう考えても他人を不快にさせる言動をとっている人、どう考えても非常識な言動をとっている人、どう考えても間違った言動をとっている人を目の前にして、何もせずに知らないフリを決めこむ、って、どういう心理なんでしょうか? だって、あきらかに自分だって不快だし、あきらかに周囲の人も不快なのに。ちょっとその心理状態を考えてみました。以下。

1.注意をしたら相手が何をするかわからなくて怖いから、知らないフリをする。
2.自分だけが目立つのは嫌だから、知らないフリをする。
3.自分だけがイイ子ぶるのは恥ずかしいから、知らないフリをする。
4.自分だけが正義の味方ぶると反感を買うから、知らないフリをする。

こんなとこでしょうか。これらを分析してみると、1は、どうなるか分からないような事は怖いから、できるだけ避けて何もしないっていう、「事なかれ主義」。2と3と4は、“みんな一緒”の強要と、その裏返しの自分と違うヤツは無視して排除っていう、「閉塞ムラ社会主義」。多くの日本の人々は、この2つの幽霊に金縛りになって何もできずにいる、ということのような気がするのです。本当は幽霊なんか、いないのに。

ま、もしホントに「事なかれ主義」と「閉塞ムラ社会主義」という幽霊がいるんだとしても、コイツらは幽霊のなかでは最も地位が低い連中だと思いますけど。だって水木しげるによると、妖怪にも序列があるそうで、一番エライのは「ぬらりひょん」だそうですから。ぬらりひょんって、「忙しい夕方時などに、どこからともなく家に入ってきて、お茶を飲んだりするなどして自分の家のように振舞い、そのあまりの自然さのために誰もが家の主と思ってしまうため、追い出すことができない」のが特徴だそうですから(笑)、ビクついた「事なかれ主義」とかしみったれた「閉塞ムラ社会主義」とは正反対。やっぱり一番エライのは、他人の目など気にせず自分の意見(?)を表明して行動する、ですよ。それがぬらりひょんと同じだと言っていいのかどうかはわかりませんが(笑)。

そんなクラースの低い幽霊に金縛りになってしまってる人々。ああ。運悪く、そんな親や先生や上司や大人に囲まれちゃったら、そりゃあ「無気力で夢がない」人間になるしかないですよねぇ、可哀想に。もちろん、そうじゃない人々に囲まれて育った若者はヤル気に充ちてるのかもしれないし、そりゃあ当然、最終的には自分次第ですけど、でもそんなことに気づくことさえできずにいる、っていう場合も多々ありますから、現状はそう楽観的に「ま、なんとかなるでしょ」という訳でもないんだろうなぁ、と。

でもいつも思うのは、それぞれが自分の意見を口に出せるということ、それぞれの意見は一旦は聞いてもらえるということ、意見が受け入れられない場合は議論ができるということ(言い負かし合いではなく)、こういったことが普通になる世の中に、せめてならないものかな、ということです。上記の3つのことって、まともな大人のコミュニケーションの基本だと思うんですが……、でも日本では非常に難しいですよね。言ったら最後、総スカンとか、やったら最後、村八分、みたいな。

でも、こうしたコミュニケーションの基本さえも成立していないとしたら、たぶん、また年金どっかいっちゃった問題とか、また毒入り米売っちゃった騒動とか、また鬱憤たまって無差別に殺しちゃった事件とか、また可愛がりによって誰か死亡(相撲海軍ほか業界問わず)ってことになりますよね。だって、こうした問題の根本にあるのは、「事なかれ主義」と「閉塞ムラ社会主義」の2大柱ですから。

でももしかして、そうやって日本という国は、ゆるゆると没落していくのかもしれませんね。特に他国に攻められてもいないのに、国内幽霊によって滅んでいく国……。敵は内にアリ。自分の敵はいつだって自分。まぁ、国の運命としては、没落もアリだとは思います。ローマ帝国や大英帝国のように。って、日本がローマ帝国や大英帝国ほど繁栄していたかどうかは別として。でも江戸時代まで遡れば、かなり繁栄していたとも言えるのかもしれません。とりあえず、日本という国の繁栄のピークが1980年代だとか思うのはやめて欲しいですね。それ、違いますから。



そんなことを考えながら、『藤娘』を見るはめになってしまったのでしたが……。にしても、こんな素晴らしい演奏と、唄と、舞台装置と、衣装と、踊りと、芸と役者と。それを目の前にして、何も感じられない人や、何も感じようとしない人がいる、その事実。それは、一方でいくら心を尽くして演じている人がいようが、いくら心を動かして見入っている人がいようが、関係なくて。

でも、そういうものかもしれません。他人の無理解。コミュニケーション不全。孤独。……って、舞台を見ているうちに、「そんなの当たり前のことじゃないの?」という声がどこからか聞こえてきました。その声は、舞台の上の藤娘から聞こえてきたのでした。80歳の男性が恋する若い娘に扮し、何枚も重ねた重い衣装を背負って何百人という人の前で『藤娘』を踊るということ、これが孤独じゃなくて一体何だろう? いや、舞台と観客の心が一つになることって、あると思います、私もそう感じる瞬間は何度もあります。でも、私が言いたいのはそういうことではなく、その一瞬のためにひたすら稽古をし、時間を積み重ねてきた人の、その膨大な孤独のことで。

そんな人の孤独は、心ない人の存在や心ない言葉さえも飲み込むほどの、底知れない深さがあるはず。そう、ブラックホール並みに、すべてを飲み込んでしまうほどの孤独って、ある。そして、そういうものをかいま見てしまうことも、あるんです。坂口安吾の名作『桜の森の満開の下』で言うところの、「涯(は)てのなさ」。安吾の小説では桜の森の満開の下でしたが、『藤娘』では藤の花の満開の下、そんな「涯てのなさ」をふと見た気がしました。こういう涯てのない領域がこの世の中にあるんだと、確信できることそういう涯てのない領域を確信したら、それを心のなかにとどめておくこと。そのことによって、目の前の出来事を包みこむ空間が、通常の三次元ではなくいくつもの奥行きを持った多次元の世界へと変化し、それによって、別の視点や基準や枠組みで物事を眺めることができるようになる。そんなふうにも思います。そうすれば、少なくとも、しみったれた幽霊やケチくさい幽霊に取り憑かれることも減るのではないか、と思うのですが……。
いつまでも 変わらぬ契り 掻い取り褄で 
よれつ もつれつ まだ寝が足らぬ 
宵寝まくらの まだ寝が足らぬ 
藤に巻かれて 寝とうござる
なんていう『藤娘』の色っぽい歌を聴きながら、藤娘のどうにもしようがないつれない相手への“恋の嘆きブラックホール”に引き込まれつつ、そんなままならない恋なんかも、涯てのない領域に突入しちゃうと、何か「別のもん」になっちゃってるんだろうなぁ、なんて思いました。ぶっちゃけ、その男どーでもいい、くらいの(笑)。じゃあなんで嘆き悲しんでるんだ? っていう(笑)。そういう多次元ゆえの不条理さって、いいなぁ。大好き!! そういう世界を求めて、私は毎月歌舞伎座に通うのでした。(ええ、勝手な解釈ですけどねー)




十月大歌舞伎 in歌舞伎座 
10月2日(木)〜26日(日)まで。

昼の部
一、「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」
   重の井
    ・由留木家の息女 調姫(いやじゃ姫) 片岡葵(亀蔵の娘さん)
    ・調姫の乳人 重の井    福助
    ・馬子 自然薯の三吉    小吉
    ・入間家の家老 本田弥三左衛門(赤じじい) 家橘

二、「奴道成寺」(やっこどうじょうじ) 常盤津連中・長唄囃子連中
    ・白拍子花子、実は狂言師左近 松緑         
    ・所化    松也
    ・所化  尾上右近

三、「新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎」 黙阿弥/作
    ・魚屋宗五郎         菊五郎
    ・魚屋宗五郎女房 おはま   玉三郎(初役)
    ・魚屋宗五郎父 太兵衛    團蔵
    ・魚屋の小奴 三吉      権十郎
    ・磯部主計之助        松緑
    ・磯部家の御殿女中 おなぎ  菊之助
    ・磯部家の家老 浦戸十左衛門 左團次

四、ご贔屓を傘に戴く「藤娘」 長唄囃子連中
    ・藤の精    芝翫



 

【歌舞伎】 玉&海老の『義経千本桜』 3  〜海老蔵に見る、男の「可愛さ」について。

2008.07.25 Friday

前回(「歌舞伎のタイトルに、ときめく方法」)と前々回(「日本最大の非リアルワールド、歌舞伎」)に引き続き、歌舞伎座で上演中の『義経千本桜』について。やっと、海老蔵について語れそうで、嬉しいです(笑)!

そうなんです。私が思わず海老蔵に恋心を抱いてしまった、ということは、前回チラっと書きましたが。でも、こればっかりはしょうがないと思うんです。私が悪いんじゃないと思います。だって、一番前の真ん中の席だったので、ホントにすぐもう目の前に、海老がいるんですよ。数メートル先に、海老が。手をのばせば届くような位置に、海老が。笑いかければ笑い返してくれそうな位置に、海老が。くしゃみをすれば「大丈夫?」と言ってくれそうな位置に、海老が。あくびをすれば「夜更かしはいけないよ」と言ってくれそうな位置に、海老が(もういいよ笑)。私の目は確実に「ハート型」になっていたに違いないと思うんですが、それを海老に見抜かれて「ちえぇッ、ザコがうぜーな」とバカにされてないか心配です(なワケねーだろ)。

実は私、今まで、海老蔵って「フツーに綺麗な顔してるし、フツーにカッコイイよね」とは思ってましたけど、「フツーにカッコよすぎて、私が好きになる理由が見当たらないない」なんて思ってまして。海老について「私が好きになる理由」って、これまたスゴイことを言い出す(笑)。でも、誰かを好きになるのに理由はないとはよく言いますけど、やっぱり絶対あるはずなんですよ。その人を好きになることで得られるメリット、っていうのが。それは芸能人にしろ、実際の恋愛にしろ、同じで。たとえば、自分に好意をもっている人をいつの間にか好きになっちゃう、っていうのはよくある話。これだって、自分の価値を認めて崇拝してくれる、その気持ちよさったらもうかなりの快楽なわけで。でも、その快楽こそが恋愛の根本。で、フツーはそんなメリットを自覚することないまま、ポーンと「これが愛だ!」「これが運命だ!」とキラキラしい世界にひとッ飛びしちゃうんですけど。ま、その方が恋愛はうまくいくと思います(笑)。

では、私が『義経千本桜』で、海老を好きになってしまった、その理由は何か? どこに私にとってのメリットがあったのか? それは、海老がカッコよくて美しくて男らしくて凛々しかったから、ではありません。カッコよくて美しくて男らしくて凛々しい、なんてくらいでは、私は人を好きになりませんから(あ、たまに例外もありますけど……って、そんな詳細はどうでもいい)。

今回、海老蔵が演じた「佐藤忠信/実は源九郎狐」は、同じ『義経千本桜』内でも、そのシーンによってキャラクターが微妙に変わっていくんです(専門家が見たらどうかわかりませんが、私にはそう見えました)。たとえば、玉&海老の踊りが素晴らしい「吉野山」の幕では、色っぽくてセクシー。「川連法眼館」の幕では、男らしくて凛々しい。さらにキツネの本性を現してからは、哀れで可憐。つまり幕を追うごとに、セクシーだったり、カッコよかったり、男らしかったり、凛々しかったり、いわゆる男性の魅力というものをこれでもかーというくらい次々に出してくる。そして最後のシーンで、ドーン! と出してくるのが、「可愛さ」、なんですよー! キャー!! ハイッついに出ましたーッ! とジャパネットたかた(orジャワネットたかな)ばりの高音で叫んだ人が歌舞伎座にいたとしても許す。

佐藤忠信、その本性は実はキツネ、というそのワケは。静御前(義経の恋人)が持っていた鼓(つづみ)が、キツネの両親の皮(!)でつくられたものだったため、父さん母さんが恋しくて、佐藤忠信にバケてまで静御前につき従っていたのだ……ということが判明。涙なしには語れない、親を思う子の情愛。その泣きかきくどく、そのキツネの姿が、本当に哀れで、可哀想で。そういえば私は常々、可哀想と可愛いは、感じる脳の場所が近いんじゃないかと思っておりまして(それについて大昔に書いたなぁ〜 →コレ)、あまり賛同を得られていないのですが、どうでしょうか。

そんなわけで、さんざんカッコイイ男らしいところを見せつけてきたくせに、最後の最後で、可哀想さ、可愛さを発揮する、海老。ズルイでしょ、それ! そう来たか! 油断してた!! って感じでした。それこそ「ギャップの魔術」「はぐらかしの術」「看板に偽りアリ」。これにヤラれない女はいないです、絶対。

男の人がふと見せる「可愛さ」というものに、意外と女性は弱いものなんです。一生懸命で、頑張ってて、強くて、男っぽくて、キリリとしてて、ちょっと冷たくて、っていう人がふと見せる「可愛さ」。そんなものに、女性は弱い。少なくとも私はかなり、弱い(笑)。じゃあ、その男性の「可愛さ」のどこに女性側のメリットがあるのか? と言いますと。それは、自分の価値を発揮できる場の発見、なのではないでしょうか。

女性は本能的に「何かを可愛がりたい」欲望をもっているものだと思いますが、可愛がるって、「他人のため」というよりも「自己満足のため」に近いようにも思うんです。そしてそれは、「自分の価値を発揮できる」ことによる自己満足なのではないでしょうか? 男性がふとしたときに見せる可愛さ、それは何でもいいんですけど、たとえば、いつもキリッとキメてる人がうっかりズボンからシャツが出てたとか、すごいキレ者と評判の人がボーリングでカラぶって必要以上にうろたえてたとか(笑)。そういう面を見たときに、女性はそこに、「自分の価値を発揮できる場」「価値ある自分の存在を知らしめることができる場」を、勝手に見出してしまうのではないか、と思うのです。もちろんそれはホントに勝手な思い込みで、本人にしてみたら、シャツなんて自分でサッサとズボンに突っ込めばいいし、ボーリングが下手なんて別にどーでもいいよ、って思ってるかもしれないんですが。でも、そんなところに「私が何かしてあげたいもの」「私が何かしてあげられるもの」を発見してしまったとき、それを「可愛い」という言葉で表現する、それが女性なのかもしれません。でも、そういう心の動きって、男性も同じかもしれないですね。

でも、男性の場合は、いつも可愛い、っていうんじゃダメなんですよねー。あんまり一生懸命じゃなくて、キリリとしてなくて、でもいつも可愛いだけは可愛い男性、っていうのも「可愛いなー」と思いますけど、「はいはい、アナタは可愛いのね。よしよし」とはしたくなるけど、ギュッと心をつかまれるようなトキメキはなかったりする。あ、でも、そういう人がふとしたときに頼もしかったり一生懸命だったりすると、それはそれでグッとくるかもですが。

ということは、「可愛さ」というのは、演出するものじゃないということなのでしょう。特に男性における「可愛さ」というのは、本人が「演出するもの」じゃなくて、他人が「感じとるもの」。つまり、男性の「可愛さ」は、女性(もちろん男性でもいいんですが)の感受性次第、ということになりますから、本人がコントロールして可愛くしようとしても無駄なのです、残念ながら。それよりは、お仕事でも好きなことでも何かを一生懸命やること、精一杯他人に向き合うこと、そんなふうに「誰でもない自分が、生きる」ということに真剣になっていればなっているほど、「可愛さ」もこぼれ落ちやすくなるものなのではないでしょうか。本人はそんなオノレの可愛さを見せようなんてこれっぽっちも考えず真剣になっている、そんな目の前に必死になっているがゆえに、脇が甘くなってふとした瞬間にズボンのポケットからポロッと「可愛さ」がこぼれてしまう、それを女性(男性でもいいですが)がこっそり拾い上げる。そんなものだと思うので。

あ、でも、女性はわかりませんよね。演出してでも作ってでも、「可愛さ」を見せたほうが、男性に喜ばれるって言いますから。っていうか、男性って演出かどうか見抜けないって、ホントですか? 何でかな? えーと、何でなんですか(笑)? そこが男性の可愛いところなんだろうなーとは思うのですが、女性からするとホントに不思議。

どうして男の人ってそうなんだろう、何でなんだろ、あ、そういえば昔こんなことがあって……と、やっぱり地に足つけたリアル会話に始終してしまうのが、女なんだよなー、そんなつまんないハナシばっかりしてさー。って思うかもしれませんが、違いますよ!! 今回『義経千本桜』を一緒に見に行った、イラストレーターのコダカナナホさんと会場出た瞬間盛り上がったのが、「海老、カッコイイ! スゴイ! あれだったら付き合いたい! あれだったらどんなに女とっかえひっかえでもいい! あーでも私なんか相手にされないよなー」みたいな、ホント「アンタには(永遠に)関係ないだろう」な妄想話でしたから(笑)。さらに、その後、複数の人(女性)に海老の話をしましたが、みなさん口をそろえて「あれなら、誘われたら絶対ついて行くよね!」「一回でも相手にされたら、捨てられてもいいよね!」「殺人以外、どんなにヒドイことしても許すよね!」……と、みなさん、ひじょーに、妄想めいた言葉を返してきてくれたのが、もう嬉しくて(笑)。つまり、女子だって、アイドルを見ながら「あれならヤレる」「あれはちょっと」なんて言い合ってる男子と同じく、非リアル会話をするのだ、ということですよ。妄想めいた非リアル会話へ引きずり込む力があるかどうか。これがもしかして、カリスマ性のある花のある役者の条件、なのかも、しれませんね! 

 


◆『義経千本桜』をめぐるトリヴィア。
この作品の主人公でもある佐藤忠信は、実在した人物で、源義経の忠実なる家来なんですが。なんと、岸信介佐藤栄作兄弟(両人とも元首相)は、佐藤忠信の末裔だという口伝があるらしい……。その岸信介の娘婿が、安倍晋太郎(元外務大臣)。その安倍晋太郎の息子が、安倍晋三(これも元首相)。ということは、安倍晋三こそが、今に生きる佐藤忠信の末裔ということか?! これから『義経千本桜』を見る方は、舞台を見ながら「美しい国ニッポン」に思いをはせてみてはいかがでしょうか?(私は知らなかったのでセーフでした)


◆ねんのためリンク。
玉&海老の『義経千本桜』 1  〜日本最大の非リアルワールド、歌舞伎
玉&海老の『義経千本桜』 2  〜歌舞伎のタイトルに、ときめく方法


◆同じく、玉&海老の公演について書いた過去記事。
玉三郎×泉鏡花まつり! 『海神別荘』の巻


◆最近発見した面白いサイト。
 「きままに写楽
 歌舞伎衣装を制作している方のブログで、
 衣装制作の過程が細かく写真で掲載されていて、すごく興味深いです。




 
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