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【雑記】 ラヴ・パレードustを見て思ったこと。もしくは、日本の人びとの書きこみ熱について。

2010.07.26 Monday

先日の24日、ガンガンに冷房をかけた部屋でゲロルシュタイナー(ドイツ産天然炭酸水です)を飲みながら、ドイツ・デュイスブルグ(Duisburg)でおこなわれていた「ラブ・パレード(LOVE PARADE)」のustreamをチラ見してました。何しろustで見ていても人出がスゴくて、「すんごい人だな〜!ウッドストックみたいな感じー?」とか思っていたら、死者が20人、負傷者が400人という大惨事に…。夏フェス「ラヴ・パレード」はついに廃止決定。残念なことですね。。


それにしても、「ラヴ・パレード」のustreamを見ていて私が驚いたのは、現場の人の多さというよりも、日本人の日本語書きこみの多さ! タイムラインは日本語で埋め尽くされ、しかも数秒のうちに消えるくらいのハイスピードで流れてゆく…、まぁ、dommuneでも既におなじみの光景に過ぎないんですが、やっぱり海外の人から見たらちょっと「異様」だったみたいです。「日本語ばかり書くな」「日本人消えろ」などの英語TLも目立ちました…。別に海外の人の感覚がまともで、日本人の感覚がおかしいとは言いませんけど、なんだかustを見ながら、「なにもこんな場所(つまり、よそ様の場所)で日本の習慣丸出しにしなくてもいいのにな…」と思ったのと同時に、「だけどどうして日本の人って、こんなに“書きこみたがり屋さん”なんだろう? これは一体どういう現象なんだろう?」と、もう、そればかりが気になって気になって…。



以前から思ってたんですけど、日本の人って、もの凄くインターネットでの発言に「熱心」で「情熱的」ですよね(ブログ数の言語別統計で、日本語と英語がほぼ同%で世界トップ! という恐ろしいデータも… →こちら)。掲示板とか2chとかブログとかコメント欄とか、さらにツィッターとかustreamとか、もの凄〜〜〜くマメに書きこみますよね(そうじゃない人ももちろんいますが)。いや、これは全然イヤミとかではなくて、私などは飽きっぽいので同じことをするのにすぐ飽きてしまうというのももちろんありますし、そもそも何かを書く前に「これは誰かにとって意味があることだろうか?」「これは何か新しいところや面白いところがあるだろうか?」「何か他人をウンザリさせるものになっていないか?」とかいちいち考えちゃうので、あまり気軽に書けないのです。その手間を考えると、なんだか書く前から、もうメンドクサくなってしまいがちなんですよね…。でもそれって、いちいち「重い」ってことだと思うんですよ。

一方で、ブログやツィッターやustreamに躊躇なく書きこむ、たとえば「渋谷なう」「龍馬伝みてる」「今日のランチはカレー♪」とか、ある意味で「…で?」と言うことも可能な多くの書きこみ(もちろん私だってそういうの書きます)には、ある意味の「軽さ」があり、もの凄く、何ていうか、この「軽さ」はとても理想的なまでに「未来的」な感じ、がするのです。この表層的なまでの「軽さ」ゆえ、日本の文化が海外の人々の目に「特殊なもの」に映り、「オリジナルなもの」としてウケているのだろうことは、たぶん私が指摘するまでもないのでしょうきっと(詳しくは知らないけど)。だけどこれが本当に未来的なのか、それとも異質なだけなのか、またもや退廃なのか、それは私にはわかりません。だけどこれって、「重い」側から見ると、この感覚は、ものすごく、「新しい」感じがするはず。一瞬、フィリップ・K・ディック星新一のSF小説世界のような気さえするほどに(笑)。

でも、ふと我に返ると、日本においてはこういう感覚、別に新しくもなんともない、以前からあるものなのかもしれない、と思いました。

というのは、日本の人々には、突きつめた意味での「意味」や「目的」はなく、あるのは「細部」と「具体性」ばかりだから。言い換えると、「意味」や「目的」は世の中に既にあるものであって、個々人はその(少ない)選択肢のなかから選ぶしかなく、個々人がしゃかりきになって「意味とは?」「目的とは?」「本質とは?」なんていちいち考える必要はない。むしろ、なるべく「意味とは?」「目的とは?」「本質とは?」なんて口ごたえ(!!)しないこと、それが日本人の品格というものですよ。という教育がされているところ、ありますよね。

要するにこうです、「決められたことは疑問をもたずに従いなさい。その代わり、そのほかに関してはすべてアナタたちの自由なのです。ただし、決められた範囲内でね。さあ、楽しみましょう!」。←これをイメージしようとすると、どうしても、公園の砂場のなかで子どもたちがキャーキャーやってて、その周りに柵が立てられてて、その向こうから先生やママが見張ってる、っていう図なってしまうんですが…。


ああ、こんなこと書こうと思ったわけではなかったのです、つい手がすべりました。。だけど私が一番言いたいのはこのことではないのです。そうではなく私が言いたいのは、多くの人は、そういう状態にいることに、実は無意識レベルでのストレスをかなり感じているのではないか? ということなのです。

たとえば今、草食系男子の増加が〜とか言われていますけど、あれはそういうストレスへの“消極的な反抗”ともとれるかと思うのです。「どうせこんな状態に置かれてどこにも行けやしないのに、しゃかりきになったってどうせたいした差はないじゃん。意味のない頑張りなんかするわけないでしょ? そこまでバカじゃないッすよ」…と、草食系と言われる若い男性(30代も含む)は感じてると思う。それは自然な感覚ですよね。


そういう囲いこみ状態の、つまり「意味」と「目的」を自分で見出すことを封じられた人々においては、「細部」や「具体性」だけは自分の自由になる大切なものであり、それは必然的に実際の役割以上に“切実なもの”にならざるを得ない。だけど「細部」や「具体性」への切実さというのは、こだわればこだわるほど個人的なもの、私的空間的なものになり、それは公的空間に普通はあまりなじまないものなのではないでしょうか。

思うに、ブログでもツィッターでもustreamでもいいんですが、インターネットって、「私的空間でもあり公的空間でもある場所」なのですよね。もちろん、よく考えれば本質的には公的空間だということは明らかなのですが、自分の感覚を鑑みてもそうなのですが、発信側の感覚としては私的空間にちかい。ここらへんが、意味や目的や本質を問う習慣がないと、特に曖昧になる。

そういう「公的空間」でもあり「私的空間」でもある場所だからこそ、誰かに向けて、自分の外のどこかの世界に向けて、そうした個人的な「細部」や「具体性」を(文字や画像というかたちにして)、放たずにはいられない。軽いがゆえに、いくつも、いくつも。まるで誰の手に渡るのかもわからない風船を、いくつも空に放つかのように。だけど、たいていの風船は、いずれどこかの空き地や道端にしぼんで落ちて、そのままになることも分かってる。だからこそ、その風船を誰かひとりでも受け取ってくれたということがわかったなら、それだけで、彼の心は暖かいもので満たされるのだ。一瞬でも。


なんて無欲で、なんて切ないんだろう。


「ラヴ・パレード」のustreamの、瞬時に流れ去る日本語で埋め尽くされたタイムラインを眺めながら、そんなことを考えたのでした。





そうそう、おまけですが、ラヴ・パレード廃止に哀悼の意を表して、2003年に私が行ったラヴ・パレード in ベルリンの様子を載せておきたいと思います(以前『ベルリン記』というのをネットに書いてたんですが、ラヴ・パレードのことを書かずに放置したままだったので…)。

今年のラヴ・パレードはドイツのドゥイスブルグで行われてましたが、ずっとベルリンで行われていたんですよね。ドゥイスブルグの会場は、四方が囲まれていて、入り口も1つしかなかったため「閉じ込められ状態」が発生したみたいでしたが、ベルリンの時は広〜い道(ジーゲスゾイレとブランデンブルグ門をつなぐ道路)全体が会場で、そのまわりも広大な公園(ティーアガルテン)だったので、閉じ込められようがなかったと思います、確か。

2003年のラヴ・パレードは、雷→雨→晴天という変わりやすい天気だったのもあってか、人もそんなに多くなく、ハッキリ言ってあんまり盛り上がってませんでした。ベルリナーたちも「観光客が多くてウザイから行かない」みたいなノリでした(笑)。


雨雲とジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)。




こういうひとたち、別にフツーでした。




「アディダス」はドイツのブランドです!




信号機の上に乗るかなぁ、普通…。ポリスも大勢いたのに全くおとがめナシ。。




テクノイベントであろうが、ゲイパレードであろうが、子どももオトーさんも参加する。そういう雰囲気がいいなと思うのです。




地元の人々にとっては、ラヴ・パレードそのものよりも、その前後にベルリンにあるあちこちのクラブでおこなわれるパーティのほうがメイン、という感じ受けました。私も、卓球がまわすパーティとか行きました(笑)。

あと、ラヴ・パレード当日の夜にタヘレス(TACHELES)っていう落書き満載の廃墟でやってた、ゴアトランス系パーティは楽しかったな〜〜 廃墟全体がパーティ会場で、Planet B.E.Nが庭でライヴやっていて、この世のものとは思えないほどの高速で動く男の子(たぶん踊ってたんだと思う笑)がいて息が吸えないくらい笑ったり、スキンヘッド鼻ピアス上半身裸に総刺青ガテン系でも顔はカワイイっていう男の子が話しかけてきて、でも東ドイツ出身だから英語が一言も話せないということに驚いたり(ドイツ人はたいてい英語ペラペラだから)したのを思い出しました(…って、思い出語り、すいません)。


あと、ベルリンで最も楽しかったのは、なんといっても「ゲイ・パレード」! 最高。ファビュラスでゴージャスでファンタスティックな人々が大集合! その様子は、むかーし書いたことがあるので、ご興味のある方はご覧ください〜。「ゲイ・パレード」は、「ラヴ・パレード」と違って廃止になることはないでしょうからまた行ってみたいです。

  >『ベルリン記』内 「レインボー!ブラボー!ゲイ・パレード! heavy編
  >『ベルリン記』内 「レインボー!ブラボー!ゲイ・パレード! light編




「……何か?」



ちなみに上の彼女(彼)たちのドレスは、ドイツ中にある大型スーパーマーケット「ALDI」のビニル袋。
コレ。








青空にそびえるブランデンブルグ門! また行きたいなー(お金貯めよう)。








■お知らせ
ステキな和のセレクトショップ「WAGU select」で連載させていただいている、井嶋ナギのキモノ映画コラム「美女とキモノ。または映画におけるキモノ美女の研究。」。vol.12は、太宰治原作、浅野忠信と松たか子主演の『ヴィヨンの妻』です。今回は、「ダメ男はなぜモテるのか?」という永遠のテーマについて分析してみました〜 ぜひご覧くださいね♪





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【雑記】 「Botanicalism」にて取材を受けました 『着物のみらい−粋な女性がつむぐ日本文化』

2010.06.23 Wednesday




フラワーデザイナー・松永有加さんが主催する「Botanicalism」(ボタニカリズム)のインタビューページにて、取材を受けました!
⇒ 「Botanicalism」インタビュー vol.2
   『着物のみらい −粋な女性がつむぐ日本文化−』 前半
   『着物のみらい −粋な女性がつむぐ日本文化−』 後半

松永有加さんは、TVなどのマスコミ業界で活躍するフリープロデューサーであると同時に、フラワーデザイナーとしても広く活躍されている方。実は、私が通っている花柳美嘉千代先生の踊りの教室で出会った方なのですが、満を持して来月から渋谷区桜ヶ丘にフラワーデザインの教室を立ち上げることになりました! その特別企画として、わたくし井嶋ナギが浴衣の着付けをレクチャーする講座、「暮らしの教室 vol.1 "色っぽい浴衣"入門」も開催される予定です(こちらもぜひご参加くださいね…!)。

そんな関係もありインタビューをしていただいたのですが……、今まで体験したことのないような濃いインタビューでした(笑)。正直言って「自分的にもちゃんと考えなきゃいけないな〜と薄々は思っていたけど面倒くさくてそのまま放置しておいたようなこと」ばかり聞かれ、何だかカウンセリングを受けたようなスッキリ感が(笑)! 考えが進んで考えがまとまるって、ホントに気持ちがいいものだということを改めて実感いたしました。松永有加さん、恐るべし。。というか、カウンセラー扱いしてすみません。。

とにかく、とっても面白い内容になっていると自分でも思うので、ぜひぜひインタビューページをご覧くださいね…! 

(上記の写真は、『着物のみらい −粋な女性がつむぐ日本文化−』で掲載してくださっている、私のアンティーク長襦袢コレクションの写真です。)



松永有加(まつながゆか)さんプロフィール】
フラワーデザイナー、フリープロデューサー。
1982年生まれ。13歳から華道に学び、高校在学中から生花店で修行、19歳でフロリスト養成学校でフラワーデザインを習得。02年桑沢デザイン研究所(スペースデザイン専攻)在学中、染色家・横張亜樹とのスペースデコユニット「commu」を結成。店舗ディスプレイやイベントでの空間コーディネートを中心に活動。04年同校を卒業後、蠍鉄椒廛蹈献Дトに入社。マスコミ業界でのプロデューサー業を経て、09年9月に関連会社螢屮譽ぅ鵝Ε灰潺絅縫院璽轡腑鵐砂蠡阿砲董Botanicalism」の活動を開始。






★お知らせ。
7/9(金)、7/23(金)、7/30(金)、浴衣や帯のブランド「月影屋」富ヶ谷本店にて、浴衣着付け講座in月影屋「色っぽい着付け、教えます。」が開催されます♪ まだまだ参加者募集中です〜〜! ぜひぜひいらっしゃってくださいね。詳しくは、コチラコチラへ。



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【雑記】 集英社インターナショナルのブログ「一期一会の現場から」にて取材を受けました 『色っぽいキモノからニーチェまで、文筆家・井嶋ナギさんの偏愛』

2010.06.22 Tuesday

蒸し暑いですね。ここのところ仕事が忙しくて、ブログがほとんどお知らせブログと化しているのが、どうにも情けないです。何とかしたいです。と思って書き始めたのはもう深夜3時。(画像は、鏑木清方えがく『にごりえ』菊の井のお力ですが、ブログ内容とは何の関係もありませんのであしからず)

最近個人的に興味があるのが、システム手帳です。社会人になりたての頃は、張り切って本皮のシステム手帳を買ったものの、たいして書くこともなく数年後処分するに至りましたが、最近ようやくシステム手帳いいかもしれないと思い始めました。というのは、1500円くらいで売ってる手帳とグーグルカレンダーを併用していたのですが、どれをとっても帯に短しタスキに長し。一長一短すぎるんですよ。もう自分の使いやすいようにカスタマイズしないとどうしようもないな、と思い始めまして、それでシステム手帳にしようかと思い至りました。

で。どうせシステム手帳使うんだったら、愛着が持てるオシャレな手帳カバーがいいな、と思いまして、ブランドものにさして興味のない私が、唐突に「じゃあシャネルにしようかしら?」と思い立ちました。で、さっそくネットで調べてみたら、高い。手帳カバーだけで10万とか、ほとんどギャグか道楽の世界。しかも、あんまり可愛くない。かろうじて、安くて可愛いシャネルの手帳を発見! と思ったら、思いっきり偽ブランド品取り扱いサイトでした(たぶん)。というわけで、シャネルはやめ。ハンズでも見てこようと思ってます。



そんなことはいいとして、集英社インターナショナルのブログ「一期一会の現場から」で、取材されました。ぜひご覧くださいね…!!!

⇒ 集英社インターナショナル「一期一会の現場から」
  『色っぽいキモノからニーチェまで、文筆家・井嶋ナギさんの偏愛』

取材してくださったのは、若くて可愛い女性編集者Fさん。突然連絡をくださり、とっても丁寧な取材をしてくださいました。拙書やブログをとても丁寧に細かく読んでくださって、「ニーチェと江戸文学と着物とマルちゃんが、どうやって井嶋さんのなかで両立しているんでしょうか?!」と真剣に問うてくださって、自分ではそんなこと考えたこともなかったので、とても自分にとって勉強になり、楽しかったです!(そして、マルちゃんについて言及してくださったことも嬉しかったです! ちなみに、マルちゃんについてはコチラを参照ください。) Fさん、ありがとうございました! 

ちなみに、写真の撮影場所は、中目黒の山手st.と駒沢st.が交差する場所にある、インテリアショップBALS STOREの1Fのお気に入りカフェ「salon du huit」です。いつも結構すいているので、オススメですよ〜。




★お知らせ。
7/9(金)、7/23(金)、7/30(金)、月影屋富ヶ谷本店にて、浴衣着付け講座in月影屋「色っぽい着付け、教えます。」が開催されます♪ まだまだ参加者募集中です〜〜〜! ぜひぜひいらっしゃってくださいね。詳しくは、こちらこちらへ。





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【雑記】 前髪の話と、47歳のサユリの美を堪能する『外科室』の話。

2010.03.08 Monday

暖かくなったり寒かったりな気温の上下に耐えられずに、ついに風邪をひいて発熱してしまった土日……。最近の土日は「和楽」の長時間稽古が恒例となっているのですが、それもお休みせざるを得ず、やらなきゃいけない諸々もストップ状態(ヤバイ。特に、確定申告)。しかし、ホントに不思議なんですけど、なぜ人間って体温がたった1.5度くらい上がっただけで、もう「異常事態発生!」な状態になるんでしょうね? 弱すぎる気がする。甘すぎる気がする。そんなんじゃこの世の中生きていけないでしょう! もっと強くならなきゃ、もっと環境に適応しなきゃ、この厳しい世界では生きていけないでしょう! と、つい思ってしまいますが、でもこの状態で人類は何1000万年前からちゃんと生きてきてるんだった。意外と世の中って、甘いものなんですね。




最近は、ブログもツィッターもあまり触れていなかったのですが、最近の私的に大きな出来事は、6年ぶりくらいに前髪を切ったこと、です! って、それ、私以外の全ての人にとってどーでもいい事であるということに気付かないほど、私もピュアな子ではありませんのでご安心を。とか言いつつ、前髪ネタを強引に進めます。

前髪を切った理由は、ずっと同じ髪型で自分でも飽きてたからというのと、顔の4分の1が隠れてしまうワンレン状態が評判よくなかった(陰気に見える・お水っぽいなど)から。「自ら変化を求める気持ち」と「他人からの後押し」。この2つがそろうと、人って大胆な行動に出るものなのですね。



というわけで、突然、前髪をパッツンにするという暴挙に出ましたが、そう、忘れていたのでした……自分がかなりの「無精者」だということを……。私のようなクセっ毛は特に、寝起きのままでは、前髪が重力に逆らって四方八方に飛んでいく。それを抑えるため、毎朝(昼のときもあるが)、ひと手間もふた手間もかける必要がある。ヘアオイルをつけ、ロールブラシとドライヤーで丁寧にブローし、コテで毛先をほんの少しカール付けして、一定方向に流し、ワックスを少量つける。毎朝(昼のときもあるが)、鏡の前で四苦八苦しながら、「ただでさえ時間がないのに、なぜ私はこんな鏡の前でやたら時間を費やしているんだろう? しかもこんな小さい面積のことで??」というクエスチョンマークが私の周囲を飛びかい、鏡のなかはちょっとした賑やかさ。で、最後の仕上げは、前髪付近にナゼかあるツムジで前髪がピョコタン! しないために、帽子をかぶる、ですよ。出かける数分前から、帽子かぶりですよ。帽子かぶって待機、ですよ。帽子で“休め”ポーズ、ですよ。

そんなわけで最近、鏡の前ですごす時間が増えたので、ちょっぴり女らしくなったような気がいたします。それに、こういう女らしい儀式が生活の一部になってくると、それなりに女子力が上がるような気もいたします(女子力って具体的に何なのかわかりませんけど)。なので、結果的には、良かったな、と思っております。



あ、あと、前髪パッツンにして、はじめて気が付いたことがありました。今、前髪パッツンが大流行中だったんですね〜〜!(今頃) こないだ代官山のカフェにランチしに行ったら、2人いたウェイトレスさんもどちらも前髪パッツン、お客さんもあっち見てもこっち見てもみーんな前髪パッツン、しかもみんながみんな、目が見えるか見えないかくらいの目に髪の毛が入りそう(もしくは既に入っている)な前髪パッツンだ、という現実にトウトツに気がつきました。帰りにレジで、前髪が目に入りそうな(もしくは既に入っている)ウェイトレスさんにお金を払うとき、私は無意識のうちに自分の前髪をうるさげに手で払ってしまったのですが、しかし、それは何の皮肉や揶揄を含んだものではなく、同じ前髪パッツン側としての私の共感能力・憑依能力のなせる行動だと彼女に分かってもらえていたらいいな……と、発熱したことを理由に惰眠をむさぼりながら思ったのです。(前髪の話、終わり。)



そうそう、お知らせするのを忘れていましたが、浴衣や和小物のセレクトショップ「WAGU select
」での連載「美女とキモノ。 または、映画におけるキモノ美女の研究。」の3回目が更新されました。3回目は、『外科室』です。

外科室』は、歌舞伎役者の坂東玉三郎さんの、初映画監督作品。本当に素晴らしい映画です!!! 原作は泉鏡花の短編『外科室』(青空文庫はこちら)ですが、あんなにそっけないお話を……いや、もっとハッキリ言えば、「ちょっとちょっとそれはないんでないの?!」っていうくらいトンデモないお話を、あそこまで美しく描き出し、見る者に「そういうこともあるかもしれない」と思わせるのは、もの凄いことだな、と。


配役もまた素晴らしくて、ヒロインの美女は吉永サユリ、当時47歳。そんなサユリの相手役は加藤マサヤ、当時29歳。そんな18歳の年齢差をまったく感じさせない吉永サユリの美しさには、今見ても驚愕! でも、泉鏡花の原作では2人の年齢なんて全く書いてないわけで、それをいくらなんでもわざわざ47歳のサユリにやらせるっていうのは、凄い。凄すぎる。「あのね、あなたたちね、若くて可愛けりゃいいと思ったら大間違いなのよ! 品格も色気も深みも貫禄もないんじゃ、美男子マサヤの相手としては失格なのッ!」……という玉様のお声が聞こえてきそうで、ワクワクします(笑)。

おまけに、『外科室』には、歌舞伎役者の中村勘三郎(当時は勘九郎)や片岡仁左衛門(当時は孝夫)もチョイ役で出ているので、そういうのも楽しい。もちろん、キモノも超絶に美しい。しかも、音楽も素晴らしい。ヨーヨー・マとエマニュエル・アックスによるラフマニノフの『Cello Sonata in G minor』のAdagioですよ(聞きたい方は、You Tubeか、CD『Rachmaninoff, Prokofiev: Cello Sonatas』へ)。琴に合わせて流れる歌は、玉様が歌ってるというのもすごいですよ。

というわけで、コダカナナホさんのイラストもステキなので、WAGU selectの連載「美女とキモノ。 または、映画におけるキモノ美女の研究。」、ぜひチラッとご覧くださいね。







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【雑記】 「メレンゲの気持ち」にエキストラ出演しました! もしくは、Buzzとかtwitterなどの「つながり」について。

2010.02.12 Friday

私は、GmailやGoogleを愛用している者です。

が。昨日イキナリ「バズ(Google Buzz)」とかいう新機能がGmailに追加されており、「このチャットとtwitterが混ざったような中途半端さは何なんだ?」と思っていると、なんと、連絡先リストに入っている(Gmailにアカウントを持っている)知人のバズを勝手に私がフォローしていることになっているではないですかー! ということは、私のバズを意図せずしてフォローしてしまっている知人も何人かいるにチガいないわけで、ちょいと憤りました。 (左画像は、7年前に使っていた中国製シャンデリア)

You Tubeもそうですよね、You Tubeアカウントをいつ作ったか忘れましたが、いつのまにやら他人のYou Tubeアカウントのリンクがズラーっと表示されるようになり、彼らがいつYou Tubeにログインしたかだの、お気に入りに入れている動画はどれだの、動画プレイ回数が何回だの、年齢はいくつだなんてことまで(!)一般公開されてるんですからーー! ということは、自分の情報も他人にさらされてる、ってことなわけで、あわてて情報を「非表示」にしましたけど、年齢まで公開せずともいいのではないでしょうか? おかげで、40歳の知人が「24歳」と登録しているのをうっかり見てしまったじゃないですか……(トホホ)。 

そう言えば、以前、Amazonに新しい機能が追加され、いつの間にか自分の「ウィッシュリスト」が一般公開されているということが判明し、「それはマズい!!」とユーザーみんな大あわて、なんて事件もありましたっけ。

またいつ何の機能が追加されて、いつの間にか個人情報がさらされているなんてことになるんじゃないかと、ヒヤヒヤものです。どんな機能が追加されたって、まぁ使いたい人は使えばいいと思いますが、デフォルトが「一般公開」って、おかしくないですかね? 



Googleも、twitterが流行してるからって、あわててSNS機能をつくらなくてもいいのに。You Tubeアカウントもそうですけど、そんなに「誰かと誰かをつなげたい」のでしょうか? っていうか実際、そんなにみんな「誰かとつながりたい」のでしょうか? 過去に、mixiやって(今は全くログインしてないけど)、ブログやって、twitterまでやってるくせにというか、そういうものを経てきたからこそ思うのが、「そんなに人って、不特定多数の人とつながりたいものかなぁ?」という疑問、です。

もちろん本音としては、いろんな人とつながりたいですけど、つながったらつながったでそれはそれで面倒くさい、っていうのが実際だと思うのですよね。だって、趣味やら年齢やら居場所やらが公開されちゃったら、嘘つけないし、ごまかせないし、せっかくつながった人はある程度は大事にしたいから、テキトーに放置もできないし。となると、目に見えない強制力や拘束力が、結果的に働くことになるんですよね。

そういう点からすると、ゆる〜いつながり、拘束力や強制力のないゆる〜いつながり、という意味で、twitterが受けてるのではないか、と思ったりしました。フォローされたらフォローしかえさなきゃいけない、コメントされたらリプライしなきゃいけない、知人の書き込みを必ずチェックしなきゃいけない、そういう強制力や拘束力が何となく(不文律としてでも)働いているつながりは、もうそろそろ遠慮したい……という雰囲気になっているのが今なのでは? というのが、私の感覚です。

なので、今この時に「バズ」と言われても、なんだか今の時代にマッチしてないなーと思ったのですが、どうでしょうか。原則として、人は誰かとつながりたいものではあるけれど、でもだからといって何でもかんでもつながればいいってもんじゃない。つまり、「強制してほしくない」。要はそれだけ、かも(笑)。



そんなわけで、つなげたくない……ってわけじゃないんですけど、引越ししてから、とある事情でTVをつなげていない日々。だけど先日、チラッとTVに出たんです〜(笑)! というのは、「メレンゲの気持ち」の中の「石塚英彦の通りの達人」コーナーが神楽坂特集で、私が通っている日本舞踊の稽古場が取材されたからです。

私と弟子仲間の嘉瑚女ちゃんが、神楽坂の芸者新道を歩いていたら、石ちゃんこと石塚英彦さんとバッタリ遭遇、我らの師匠花柳美嘉千代先生のお稽古場にご案内し、みんなで一緒に「さくらさくら」を踊る、というちょいエキストラ(?)出演をさせていただきました(笑)。 



以下、TVを撮影してみました↓



神楽坂の芸者新道で、石ちゃんとバッタリ。



「お教室はこちらです〜」



私たちの師匠、花柳美嘉千代先生。



さくら〜さくら〜♪



一発でフリを覚えた石ちゃん。さすがー。



というわけで、楽しかったです! こちらの「メレンゲの気持ち」バックナンバー(2010年2月6日放送)にも載っています〜。



 

【雑記】 謹賀新年。もしくは、小学生に戻る計画(?)について。

2010.01.05 Tuesday



あけましておめでとうございます! ついに、2010年ですね。映画『2001年宇宙の旅』を愛していた小学生の頃の私は、「2010年くらいになれば、そりゃあ太陽も2つできちゃう(by『2010年』)だろうな!!」なんてドキドキワクワクしていましたが、そんな天変地異は起こらず、あいも変わらず小学生の頃と同じようなこと(=本読んで文章書いてバカ笑いして調子にのる)ばかりやっている自分。

というか、むしろ、やっとこのくらいになって、やっと、小学生の頃の自分に戻っていいのではないか? という気がしております。私個人のことを言えば、小学生くらいまでは何の屈託もない自由奔放天真爛漫な子でしたが、中学生くらいから徐々に社会性という名前の鎧というか仮面というか武器というか、そういうものを身に着けてきたように思うのです。もちろんそれらを完全に脱ぐつもりもないし、それは不可能なことですが、しかしそれらを身につけながらも徐々にそれらを透明にしていく……、ということをそろそろやっていってもいいのではないか、と。

いい加減なところは多々ありますが、基本的に真面目な私なので(たぶん)、小学生の頃ずっと「協調性がない」「落ち着きがない」と通知表に書かれ続け、親にもそのことを追及され続けてきた(っていうか、うちの父こそ協調性ゼロの最たるものだと思うんですが……こちら参照)ことに、子どもながらそれなりに傷ついておりまして。中学生の頃から「協調性を身につけなきゃ」と苦労して頑張ってきました。それに、協調性がないとクラスの女子からハジかれますしね、「何あれムカつく!」って言われちゃいますから(経験多々アリ)。

でも今思えば、そんなこと大して意味なかったなぁ、と思うんです。だって、そこまで苦労して頑張ってきたにも関わらず、結局、ほとんど身についてないですからねー、協調性とか社会性(笑)。もちろん、superficialなレベルでの協調性や社会性は身についているかもしれませんが、それはあくまでもsuperficialなものに過ぎないので、結局は精神的にキツかったりする。一昨年、ストレスで片方の耳が聞こえなくなった時に、そろそろ自分をコントロールするやり方を変えないといけないなぁ、と思ったものです。

なので、そろそろいいかな、と。あまり無理して自分を鎧ったりガードしたりしなくても大丈夫な、頑丈な大人になってるんじゃないかな、と。というか、正確に言えば、そんなに私がたいした人間じゃないってことくらい自分も他人もわかってるんだから、あまり無理しなくてもいいんじゃないかな、と(笑)。そんなわけで、2010年は少しずつ小学生に戻れたらいいな、と思っております。

……って、それが新年最初に宣言することか?! ああ、やっぱり、協調性も社会性もゼロですね。トホホ。




そんなことはいいとして、相も変わらない日々を送る私ですが、昨年の大晦日はいつもと違う大晦日でした。大晦日言えばどこかのカウントダウンパーティで踊る♪のが恒例でしたが、今回の大晦日も確かに踊るは踊りましたが、電子音のダンスミュージックで踊るのではなく、踊ったのは和太鼓や三味線でのダンスミュージック。というのも、私の日本舞踊の師匠である花柳美嘉千代先生や、同じ弟子仲間で女優の岡田明香ちゃんが所属している、日本舞踊パフォーマンスグループ「和楽」に所属することになり、急きょ、大晦日のカウントダウンイベントinペニンシュラホテルに出演させていただけることになったからです。

というわけで、白塗り、中高の日本髪、引き着、の写真をトップに載せてみました。この撮影の時が「和楽」での初白塗りだったのですが、実際は、目のなかにシャベ(ねり白粉)が入ってしまい、かなりの涙目に〜。このお化粧じたい非常に難しいものなので、何とか頑張りたい……。ペニンシュラホテルのイベントの様子は、また改めてブログにアップしたいと思います。




そんなわけでバタバタしており、今年初めて年賀状も出していないという事態に……。失礼をしてしまった皆さま、本当に申し訳ありません!!!! 改めてご挨拶させていただけたら幸いです。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます!



おまけ。twitpicにもアップしましたが、虚空の鏡餅 in 浅草寺仲見世。


 

【雑記】 引越しと、蔵書問題。または、自分のルーツを見てしまったような出来事。

2009.11.24 Tuesday

引越し作業にヒッシになっているうちに、1ヶ月も更新をしていませんでした……。(左画像は、去年から引き続きお気に入りの毛皮帽子@club axxcis)

以前は「追われてるの?」と不審がられたほど引越しばかりしていたのですが(最短3ヶ月なんてこともあった)、ここ4年ほどは引越しゼロ。「ついに私も落ち着いた大人になったのかも〜」なんて思いきや、もう我慢の限界! というか、人間って、ある環境に慣れると、自己保存本能のためか、ラクな方で安心したいためか、いろいろなことを「まぁいいか」と思おう思おうとするんですよね。あるはずの問題を、無意識のうちに「ないこと」にするんですよね。つまり、自分が何かに我慢しているということに、自分が何かに不満をもっているということに、全く気がつかないんですよ! 恐ろしいことに。

しかし、ある時フッと気がついたんです。「もうこれ以上、“ここ4年のあいだ自分が発してきたエネルギーの残滓(ざんし)が澱(よど)んでいる環境”には耐えられない!」と。なんて書くと、スピリチュアル系な発言のようでアレですけど、そういう意味ではなくて、つまり、いろいろな意味で、直近の過去の自分がしみついた場所から離れることって、大事だと思うわけです。遠くの過去の自分であれば、今の自分とほとんど関係ないから余裕をもって接することができる。でも直近の過去の自分って、今の自分と地続きなだけに、つい蹴つまずいたり、つい足元をすくわれたり。意外と、今の自分を邪魔する最大の敵は、直近の自分、だったりする。大きく舵をきろうとする時などは、特に。

というわけで、急きょ、引越しを決定。さようなら〜、あの頃の私よ。こんにちは、新しい私! あいかわらず大げさですけど、そのくらいの気もちで決定した引越しだったので、作業に1ヶ月も費やしてしまいました。。



一番タイヘンだったのは、膨大な数にふくれ上がった本です―――。本好きで都内在住の方って、本の収納、どうしてるんでしょう? 私は、結局かなりの数を捨てたり、売ったり(ちなみに、BOOK OFFより、地元の堅実な古本屋のほうがよほど高く買ってくれました)しましたが、それでもあふれる蔵書の大半はしかたがないので千葉の実家に置かせてもらおう、と。さらに言えば、大量のキモノもちょっと置かせてもらおう、と。

そこで、久しぶりに実家に帰ったのです。が。久しぶりに帰った実家では、もう既に、父の蔵書が問題となっていたのでした……。というわけで、父の蔵書問題に、私の蔵書問題をもち込み、さらに可能なら私のキモノ問題ももち込んでしまおう(両親を怒らせないようにして)、という無謀なプロジェクトがスタート! (社会人になったのに親の世話になる娘ですいません。。)

しかし、実家は一軒家とはいえ、問題は改めて根深いものがありました……。何しろ、父親が古い顕微鏡コレクションに凝っていて、顕微鏡専門店で買うだけではあきたらずヤフオクでも落札しまくっているらしく、本の海の波間波間に、顕微鏡の入った巨大な木の箱があちらこちらに見え隠れし、さらに、床の間の飾り棚に置かれた日本人形のガラスケースの中にまで顕微鏡が鎮座、これを見た時はさすがに「ガラスケースの中の日本人形はどこへ消えた?」と聞くのも忘れ、「こんなにたくさんの顕微鏡で何を見るのよ?!」と聞くと、

見るために買ったんじゃない! お父さんは見なくても全部わかってるんだ!!

と一喝されてあ然。

さらに、父が大ファンであるシューベルト(ロマン主義の作曲家)生誕200周年にウィーンでわざわざ買ったらしいシューベルト直筆楽譜の復刻版を、がんじょうな専用の箱(←自作です)から取り出して、「すごいでしょう、研究者垂涎の楽譜だ!」と自慢してきたり、ビニールにガッシリとくるまれたままの岩波の『ギリシア悲劇全集』全14冊が、それらがピッタリ入る専用の棚(←自作です)にズラーーと並んでいるのに遭遇したりした日には、改めて自分の起源のようなもの(ルーツとも言う)を見てしまったような気がして、軽く、めまいがしました……。



そんなアレコレを経ましたが、とりあえず引越し完了! 環境を変えて大正解でした! 心機一転、今後もどうぞよろしくお願いいたします♪




↑i Phoneのカメラって、意外と暗いところでも撮れる。


ちなみに、そんな変わり者の父は、サイエンス書の翻訳などやってます。→こちら。『プリンストン高等研究所物語』は、私が読んでもかなり面白かったです(アインシュタインとノイマンとゲーデルのエピソードが特に)。






 

【雑記】 iPhoneと戯れる日々の巻。

2009.10.14 Wednesday

10/24の小唄in神楽坂の準備のうえに、入稿日がギリギリで、大大引越しイベントも控え、いつになく忙しいです。いろいろな方に不義理をしていて、心が痛い状態……(皆さまごめんなさい)。

いつも思うのですが、「お仕事」と、「私的なやらなければならないこと」と、「私的などうしてもやりたいこと」と、「お友達やお知り合いとのおつき合い」と、そして、「どうしても必要である肉体的かつ精神的な休息」を、世の中の人々はどうやってやりくりしているんだろう?? と。。私は要領が悪いのか、まんべんなくそれぞれをこなすのが未だにヘタです。時期によって、どれかに偏ってしまう。時間管理術とか、ライフハックとか、そういう類いの本はよく読んでるんですけど……(たぶん「私的なやりたいこと」と「肉体的かつ精神的な休息」に時間をさき過ぎてるんだろう)。

(上の画像は、20代半ば、初めての一人暮らしの引越し祝いに、お友達がくれたお昼寝枕の超カワイイ模様。クマか犬かちょっとわからないので、一応クマちゃん。)



できうる限りの効率化。これが今後の私のテーマだ! ……というわけで、今回の引越し準備を期に、一気に、PCやWEBや携帯に散らばったデータを整理しよう、そして、それらのデータの使用方法も見直そう。そう思ったんです。

で、まずは普通の携帯電話をやめて、iPhone 3GS を導入することにしました。iPhoneはGoogleと同期させることができるので、住所録やメールやスケジュールなどをGoogleで管理すれば、PCからもiPhoneからもアクセスできるので本気でラク!

というか、iPhone、素晴らしすぎる。

なぜ今まで導入しなかったの? その理由は、単に「iPhoneはメールが打ちにくそうだから」、でした。確かに「あいうえお」は打ちづらい。でも、四六時中メールやってなきゃ気がすまない子じゃないし、使ってみたらどうってことありませんでした。それどころか、「今まで携帯を使ってたのは一体何だったんだ?」とつぶやくシマツ(いつも極端でごめんなさい)。



以前、iPodを手に入れたときも思ったのですが、「哲学って、たとえばこういうカタチもありうるよなぁ」と、iPhoneを使ってみてそう思いました。つまり、「知性や思考でもって、真・善・美を追究した、その成果」という意味で。私の見たところ、こういった実用品に関して言えば、「美」が足りなすぎなことが多すぎる。そして「美」が足りてないのならば、それは「真」も「善」も全然足りてない、っていうことになると思うんです。なぜなら、「美」も「真」も「善」も、互いにそれぞれを含むものだと思うので。「美」とは外面のことだけではなく、その背後というか、奥にある思想や哲学や倫理など、そういったことも含まなければ本当ではないのではないでしょうか。ちなみに、「美」が足りないこと、これこそが、私が5年以上も携帯電話を買い換える気が全くおきなかった最大の理由、でした……(だって「美しい!」と思えないものに6万円も払えますか? 私はムリでしたー)。



そんなわけで、遅ればせながら、iPhone、楽しい……。そして今楽しいのは、iPhoneアプリの「セカイカメラ」(無料)。自分で写した写真を投げて、iPhoneを通してのぞいてみると、その場所に自分や他人が写した写真やコメントなどがプカプカ浮いて見えます。私の部屋は、「セカイカメラ」越しだとこんな感じにー♪ 以下。


可愛いクマちゃんが本棚の前をプカプカ行進ちゅう。





可愛いクマちゃんが天井のほうにプカプカ拡大ちゅう。





コダカナナホさんからもらった可愛いファーファが、ベランダのほうにプカプカ浮遊ちゅう。



ちなみに、椅子の上にある本は、『EVA イリナ・イオネスコ写真集』と、水木しげる『怪奇 貸本名作選』(←これに収録された「サイボーグ」が傑作すぎ)。



ファミレスでもセカイカメラちゅうの私を、友人がセカイカメラでのぞくメタ画像。



(註:お行儀が悪いので、お店でこういうことするのはやめましょう)



それと、もう一つのお気に入りは、撮影した写真をポラロイド風に変換してくれるiPhoneアプリ「Polarize」(無料)。


こんなフツーの室内風景が、



↓↓↓



何だかドラマティックな感じに! タグも入れられます♪(アルファベットのみ)

ちなみに、写っている自転車は、超お気に入りのBRUNO「VENTURA 20T」。フューシャピンクは現在販売してないそうです(なぜ??) 



そのほか。Polarizeギャラリー。




フレッシュネスバーガーにて。ハロウィーーーーン。




渋谷のカフェにて。銀のポットでコーヒーはブラック。




N.Yの蚤の市で買ったクリスマスオーナメント。ウチでは1年中つられてる。




私の部屋に鎮座ましますフューシャピンクの仏像。何回か前のひっこし祝いに、妹がくれたもの。どうでもいいけど、フランス製。ほとんどブレスレッド置き場な現状。




オトメ特集。ピアノ、オーガンジィで手作りしたエメラルドグリーン色のカーテン、資生堂オイデルミンの旧ボトル、そして、マルちゃん。



全体的に、緑がかってしまうみたいですね。iPhoneじゃなくて別のカメラで撮ったものを取り込んで加工してみると、また違うとのこと。



というわけで、効率化をめざしてiPhoneを導入したはずなのに、さっそくiPhoneと戯れはじめて結局時間がなくなっている私でした……。 続く(たぶん)。




■お知らせ1

10/24(土)の「小唄 in 神楽坂」に、今年も踊りで出演することになりました! 文筆家であり小唄師でもある宮澤やすみさんが主催する、毎年恒例の人気イベント。神楽坂散歩がてら、小唄を楽しんでみませんか? ぜひいらしゃっていただけたら嬉しいです! 

詳しくはこちらへ。








■お知らせ2

仲良しのイラストレーターのコダカナナホさんのセクシーかつキュートなイラストがプリントされた、オシャレTシャツが販売されました! 絵柄は、以下の2種類です。「Brunette&Aqua」での通信販売は、こちらこちらへ。

センスのいいイラストのついたTシャツ、というものが大好き。Tシャツをカジュアル過ぎないテイストで合わせるのも、大好き。というわけで、これは必ず手にいればければ! 手に入れたらまた改めてご紹介したいと思います♪



■お知らせ3

仲良しのアーティストの真珠子ちゃんのアニメ新作が発表されました! 



宍戸留美さんの楽曲「井の頭にて」に、真珠子ちゃんがインスパイアされて制作したアニメだそうです。相変わらずぶっとんだキラキラ乙女ワールド(大人仕様)、スゴイです〜〜!


 

【雑記】 スケジュール帳が真っ白であることの幸せについて。  〜または、時間の使い方について。

2009.09.29 Tuesday

秋はいい。何も考えずに外に出て、空を見上げて風に吹かれて空気を吸うだけでいい。春のようにソワソワすることもなく、夏のようにカーッとすることもなく、冬のようにキュウッとすることもなく、そのままスーッと、空か、風か、空気になれるのが、秋。

先日もTAICOCLUB'09 KAWASAKI に行き、夜空と夜風と夜気になってきました! 会場は、できて1年ちょっとという新しすぎる公園、「東扇島東公園」@川崎市。この公園の格別にステキだったところは、何といってもイキナリ現われる海と砂浜! 打ち寄せる波! 汐の香り! 貝殻! 夜空! 夜風! 音楽! レーザービーーム! ……な中で踊り狂いすぎて、ケータイ、デジカメ、マルちゃん等、落としました……(これについて多くは語らない予定)。



(上は、月影屋にてサプライズなバースディパーティをしていただいたときの画像。ショウちゃんケーキありがとう♪)


秋になってあんまり仕事もないし、ということは遊ぶお金もないし、しばらく大人しくしてよ……と、読書三昧、たまに自転車、の日々。え、ヒマそう? いや、でも、忙しいと言えばこれ以上ないくらい忙しいのです、個人的には(笑)。というのは、私は、「時間を拘束される予定(仕事や打ち合わせや遊びや付き合い)が入っていない状態」=「忙しくない状態」とは捉えていないので。むしろ、「時間を拘束される予定(仕事や打ち合わせや遊びや付き合い)が入っている状態」のほうが、私にとっては「忙しくない状態」、かもしれません。って、別に、負け惜しみ大会じゃありません(笑)。どういうことかと言いますと。

「時間を拘束される予定」が入っている日は、まとまった時間を確保しにくいため、じっくり何かを読んだり考えたり作ったり書いたり、ということが難しくなります。つまりそういう日は、細切れ時間に見合ったことしかできません。ですので、何かにじっくり取り組むことは最初から諦めることができます。そういう意味で、そういう日は「忙しくないよ」と公言していろいろな予定を入れることができます。

逆に、「時間を拘束される予定」が入っていない日は、まとまった時間を確保できるため、じっくり何かを読んだり考えたり作ったり書いたり、ということが可能になります。そういう貴重な日は、細切れ時間ではできないようなことにじっくり取り組むことができるので、個人的にはとっても忙しい。そういう意味で、「ちょっと忙しい」と言えるわけです。

なんて、こんなことを書くと、「せっかくの仕事や遊びや社交を、時間を拘束される予定、だなんて言いやがって! 反社会的な人間め!」「あんなヤツもう誘ってなんかやらない!」なんて思われるでしょうか? でも、決してそういう意味ではないのです。



なぜなら、自分の世界と外の世界と、どちらも大事にしたいと思うからこそ、そうしたやりくりがとっても大事なのだと私は思っているからです。だって、自分の世界をしっかり充実させられない状態で、どうして他人に興味をもったり気を配ったり優しくしたりする余裕がもてるでしょうか? もちろんそういう人もいるでしょうけれど、私はムリです。自分のやりたいことやしなければならないことが気になって、心あらずになったり、イライラしたり、どちらにせよ集中できない状態となってしまう。

そして、もしかしてここが一番重要なことかもしれないのですが、「自分の世界を充実させるには“ある程度まとまった一人の時間”を必要とする種類の人間」というのがいて、幸か不幸か、自分はそういう種類の人間の典型だ、ということなのです……。こういう種類の人間にとっては、時間って、本当に本当に、他人が想像する以上に、大切なんですよね。切実に。



そうそう、スケジュールと時間の使い方に関して、最近読んだドクター苫米地の新刊『テレビは見てはいけない』(←かなり面白かったです)に、こんな一文がありました。
私はかつて慶応義塾大学の湘南藤沢キャンパスが設立されたときに、クラスを手伝っていたことがありました。(中略)

彼ら(上記の学生たち)と話してみると、「スケジュール帳がいっぱいになっていないと不安だ」というのです。自分のスケジュールが予定で満タンであることが、日々を有意義に過ごしている判断基準になっているのです。(中略)

私たちのような科学者は逆に、スケジュールがすっからかんであればあるほど嬉しく感じます。なぜなら予定の入っている時間は、科学者にとって生産性のある時間とはいえないからです。(中略)

学問というのは、すっからかんの時間がないとできないのです。だれにも会わずに考えているのが学問なのですから。だから学者にとっては、スケジュールが空っぽのときがいちばん生産的なのです。世界じゅうの学者が、そのように生きているはずです。

もちろん、私は科学者でも学者でもありません。でも、上記のくだりには深く納得したのです。なぜなら私も、スケジュール帳がすっからかんだと嬉しがるタイプなので。だって、スケジュールでいっぱいだったら、単純な話、本さえもじっくり読めないじゃないですか? ねぇ? そういう人たちって、本も読まないのかしら? そういえば、こないだ山崎ナオコーラさんと山崎まどかさんが(別々に)出演する「読書」をテーマにしたトークイベントに行ったのですが、司会をされていたアナウンサーのキサアヤコさんが「本は月に1冊も読まないくらい」と仰っていて、「普通はそういうもんなんだろうなぁ(=自分は変わりもんなんだろうなぁ)」とちょっぴりしんみりしました。。

そんなわけですが、「スケジュール帳全然埋まってないくせして、何忙しがってるんだよ?」と笑われようが、自分の時間を確保することにおいては頑なに必死にがんばりたいです。

……と言っても、ずっと一人でいたいわけじゃないんですよ、もちろん、人と会ったり遊んだりするのは大好きなのですよ。ただ、結局のところ、私たちはヒマな子供ではないので(って、最近の子供は私より忙しいのかもしれないが)、放っておけば大人の雑務に追われて人生終了、ってことも十分ありえてしまうということだと思うのです。そして世の中というのは、人にボーッと考える時間を与えないように(正確に言えば、そんなボーッと考える余裕があるならそのぶんお金を使わせる方向に)動いているものだとも。なので、ある程度まとまった自分の時間を手に入れたいのなら、それは意識して必死にコントロールする必要がある、と。そうじゃないと、そんな時間は手に入らないまま人生終わってしまうかもしれないよ、と。ただ、それだけのこと、なのでした。




(上は、月影屋のなつき姐さんがケーキの上のチョコレートに、何の躊躇もなくマジックで「36」と書き入れた瞬間の図。キャー)




 

【雑記】 鎮座DOPENESSが凄いと思ったことについて。

2009.09.22 Tuesday

先日からtwitterをやってみたら、思いのほかラクで、しばらくtwitterばかり更新しておりましたー。twitterは140文字以内という決まりがあるので、精神的負担が少ない(笑)。これからは、一言でいい内容はtwitterで、何かの主題について論を展開させたいときはブログで、という使い分けが進むかも?! RSSフィードも提供しているので、twitterのアカウントを取得しなくても購読できます。よかったらご覧くださいね(→こちら)。


そんなtwitterでもさんざんつぶやいてたんですが、最近すっごく楽しかったことと言えば、今話題のHIP HOPラッパー、鎮座DOPENESS のライブ!!! 音楽好きの知人から「スゴいよコレ!」と教えてもらった動画を見て「うわーうわーうわー!」となり、渋谷ROCK WESTでのライブにいって「うわわわわ〜〜〜」となり、青山の月見ル君想フでのメジャーデビューアルバム・リリースパーティに行って「うわぁ・・・・・・(楽しすぎて言葉出ず)」とあいなりました。





えーと、念のために書いておきますが、私、音楽は大好きなのですが、特定のジャンルを系統だってマニアックに聴いてきたわけではないので(クラシック音楽とオペラとゴアトランス以外は…ってどんな並びだ笑)、音楽についてのボキャブラリーがあまりありません。私にとって音楽は、「いい音楽をひたすら聴いて気持ちよくなりたい」と、「いい音楽でひたすら踊って気持ちよくなりたい」っていう、もの凄〜く原始的かつ生理的な欲求を満たすためにあるようなものなので、「これはフォローしとかなきゃ」「これは知っておかなきゃ」っていう欲望があまりないのです。

というか、文学とか映画とか歌舞伎とか日本伝統文化とかとかにこの「世界網羅欲求」がありすぎて、なんかもうほかに手が回らないって感じだったり……。何でも知識に飢えて分析したがってマニアックになりがちなほうなので、そういうマニアックな欲望から解放されているエリアがあってもいいんじゃない? という無意識からの提案なのかも(えー)。そんなわけで、私にとって音楽は、気持ちいいか、気持ちよくないか。ただただ、生理的な反応あるのみ。私にとって音楽は、頭じゃなくて、体(笑)!

そんな私なので、HIP HOPの文脈とかスタイルとか専門的なことは全然わかりません。あ、でもEMINEMは大ファンだし、Cypress Hillの動画(これ)見て「コ、コレはかなり好きだ!」と思いましたけど、それくらいですけど、「鎮座DOPENESS、この人は凄い!!」ってことはわかりました!!

……って言っててもつまんないので(笑)、鎮座DOPENESS の動画は以下。


「鎮座DOPENESS フリースタイル」
面白い!&頭の形がキレイ



「DJ UPPERCUT & 鎮座DOPENESS @「106 & PARK」」
アメリカのHIP HOP/R&B音楽番組「106 & PARK」に出演したときの映像



「鎮座DOPENESS @ CISCO前 1」
今はなき渋谷宇田川町シスコの前でのフリースタイル



「フリースタイルMCバトル 鎮座DOPENESS + 環ROY」
動画再生回数が、18万に迫る勢い……




楽しい〜〜〜〜〜!! 見ていて、ただただ、楽しいです。動きもまたヤバイな〜〜、昔のゴアトランスパーティにこういう信じがたいフリーキーすぎる動きしてる人、いたよな〜とか(笑)。

しかも、男の子が集まってフリースタイルやってるとか、単純にそういう感じ、いいなぁ〜(と、エミネム主演の青春映画『8 Mile』(←名作)に思いをはせる)。

しかし、鎮座DOPENESSのオリジナリティは凄いなぁ、と、シロウトの私でも思いました。もちろんスキルもセンスも凄いけど、スタイルのユニークさがもの凄いなぁ、と。どんなジャンルでもそうですけど、その人にしか生み出せない独自のスタイルを確立してなおエンターテイメントとして高いクオリティを維持するって、滅多にないことだと思うんですが、一体あそこまで独特のスタイルをどうやって作りあげたんだだろう? そう思っていたら、特集インタビューページでそれについてちょっと触れていたので、抜き出してみました。


Public-image.org」でのインタビュー。
もともとは中学生の時、ヒップホップから入ったんです。でもブルーハーブやシンゴ02が流行った時に、みんな彼らを追随してブルーハーブやシンゴ02になろうとしちゃった感じを一人で受けてて、そういうシーン自体が嫌いになっちゃったんですよ! 一人で「ウワ〜」って(笑)。その頃から、(忌野)清志郎さんを聴いて、「リリックが良いな」とか、ブルースを聴いて「比喩が渋いな」とか、テクノを聴いて「何も考えないで踊れるな」とか、いろいろな音楽を感じるようになったんです。自分は、そういう他の音楽の良いところをヒップホップに変換できたらなと。ヒップホップってもともといろんな音楽の要素が入っているから、ヒップホップだけが好きというのでは、できないと思うんですよ。

例えば、チャゲアスを歌っている気持ちよさと、ラップをしている気持ちよさは、普通シンクロしにくいですよね。そこを近づけて楽しめないかなと。それがヒップホップじゃなくなる可能性もあるかもしれないけど、ラッパーとしてそれなりに気持ちをしっかり持っているから、成立するんじゃないかなと思っております。



Musicshelf 」でのインタビュー。
ラップうまくなりてぇなぁと思って、一時期いろんなビートでフリースタイルしてたことがあって。その頃、MCバトルでもKREVAさんのスタイルが流行ったり、漢くんが出てきたりしたんですけど、漢くんでもないし、KREVAさんでもないし、そもそも韻って何なんだろう?って考え始めて。韻だけを強調して、その単語を語尾に持ってくるっていうだけのスタイルは違うんじゃねぇのかなぁと思って、言葉をアタックの音と流れていく音に分けて、それで全部韻を踏まないでやるとか、そういうのをやってた時期があるんです。とにかく自然にラップをやりたかったんですよね。喋ってるときもラップするときもテンションは変わらない。同じ調子でスーッとラップできる、みたいな。それは今でもそう思ってますね。

たとえば「チェケラッチョ」って言いたくないとか、昔はラップに似合う言葉を選ぶっていうのが全体的な風潮としてあったと思うんです。でも、言葉を選ぶんじゃなくて、ダサイ言葉でもどうやったらかっこよくできるか。それがすっごい重要な気がするんです。

そう。だって「マブイ」って言葉で曲も作れるだろうし。その言葉がダサイんじゃなくて、その言葉を言えないのがダサイっていう。そういう捉え方をし始めたときに、すごいいっぱいアイデアが出てきたんです。とにもかくにも、ヒップホップは「これはダメ、アレがいい」っていうのが常々あって、それで衰退したような気がするんですよ。でも「アレはいい、これはダメ」じゃなくて「アレもいい、コレもいい」。それをどういうセンスで料理していくかってことがカギだから。そこは常々意識してますね。



世間のみんなが「そういうもん」だと信じて疑わないようなコトでも、「え、なんで?」「それおかしくない?」を少しでも感じたなら、そういう自分の感覚に素直にちゃんと向き合って、「じゃあどうしたらいいのかな??」としつこく試行錯誤する、やっぱり結局これしかないんだろうと思いました。そういうことって、別にジャンルとか関係なく、いや、別に何かをクリエイトするようなことでなくたって、日常生活においても同じだと思うんですけども。。



にしても、ホントにライブが楽しかった&凄かったです。MCもハンパなく面白いし、動きもダンサーか芸人(笑)並のキレだし、キャラも立ちすぎるほど立ってるし、スターとしてのポテンシャルが凄い。しかも彼の格好が、HIP HOP的ファッション(キャップに、大きめトレーナーに、ゴールドのアクセサリーに、パンツは腰ばき、みたいな笑?)からはほど遠くて、工場の作業員みたいな上着とか、さくらんぼ柄のジャンル不明なワイシャツみたいな感じだったのもいいなぁ、と(笑)。あ、あとMy Spaceでのカテゴリーが「Trance/Trance/Trance」になってるのもいいなぁ、と思いました(笑)。でもトランス、間違っていないと思います! だって私、ただただ、気持ちよくなれたもの♪ それってまさに・・・・・・トランス!!!!! (薬はやってません)




鎮座DOPENESS の1stアルバム『100%RAP
(EMIミュージックジャパン)



鎮座DOPENESS 『KANPAI』
植木等なトボけた昭和コメディムーヴィー(東宝)テイストが、かえってカッコイイ。
ディレクターは、ROBERT GLASSFORD。


 
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